浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 三

第五章 太平洋戦争と浜松

第二節 焦土と化した浜松

第四項 本土決戦

決戦体制の強化

 軍では敵の上陸に備えて昭和二十年四月に決戦作戦を決定した。さきに機動部隊の艦砲射撃に対してその跳梁(ちょうりょう)にまかせたのも敵上陸に備え兵力を温存するためといわれた。【海岸】軍は遠州灘の防備についても特に重視し、まず浜松へ資材集積を命じ、新設第百四十三師団(兵団符号を護古と称したので護古部隊といい、引佐郡井伊谷村に司令部があった)を天竜川浜名湖の間の西遠平野の遠州灘海岸方面に急遽展開させた。【浜名湖 天竜川】さらに独立戦車第八旅団(引佐郡三ケ日町に司令部があった)を浜名湖北岸に配置し、五月に入ると高射砲隊を天竜川浜名湖の橋梁及び鉄道施設守備のために配備、総司令官杉山元帥が巡視している(浜松方面防衛担当部隊配置表参照)。【特攻基地】また三方原には航空ガス部隊があり、浜名湖には人間魚雷(ぎょらい)回天や震洋の特攻基地を特設し帝国大学と技研の共同研究による迎撃作戦に全力を傾注した。また浜名湖口の新居には浜名海兵団と海軍施設部隊が開設された(昭和十九年八月に敵の魚雷が舞阪海岸に不発のまま着岸、この分解作業で四名が死亡し二十余名の重軽傷者を出したという『浜松憲兵隊長の手記』)。しかし多くは急設の部隊で兵員装備ともに十分でなかった。そして食糧を補うための農耕部隊(赤佐村、現浜北市)も駐屯していた。【護古部隊】それでも第百四十三師団護古部隊を基幹とする浜松方面防衛担当の諸部隊は決四号作戦計画にのっとり陣地構築を急ぐかたわら日夜激しい肉攻挺身訓練を重ね、浜松市民も心よりこれを支援し、軍民一体となって怨敵の来寇に備えたのであった(浜松市役所『浜松戦災復興誌』、浜松空襲・戦災を記録する会『浜松大空襲』、静岡新聞社『大空襲 郷土燃ゆ』)。

決戦の詩

 

(表)浜松方面防衛担当部隊配置表


部隊配置図

 
(表)戦時中浜松市及びその周辺に在隊した陸海軍部隊名
部隊名所在地昭和
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高射砲第1連隊浜松市和地山
飛行第1連隊浜松市葵町
飛行第1連隊
中部第72部隊浜松市和地山
中部第94部隊浜松市葵町
千葉防空学校浜松分教場浜松市和地山
浜松飛行学校浜名郡神久呂村
三方原飛行部隊浜名郡三方原村
浜松飛行部隊浜名郡神久呂村
海軍経理学校浜松分校浜松市住吉町
中部第97部隊浜名郡三方原村
中部第130部隊浜松市葵町
燕第18925部隊
浜松憲兵分隊浜松市亀山
浜松陸軍病院浜松市和合町
護古第22255部隊浜松市富塚町
第61飛行大隊浜名郡吉野村
師第34203部隊浜松市葵町
空第576部隊浜松派遣隊浜名郡神久呂村
楓第4151部隊浜名郡新津村
師第34201部隊浜松市葵町
師第554部隊
中部東海第4177部隊浜松市松城町
東海第31454部隊

(『浜松市役所保存文書』)