浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 三

第四章 市制の施行と進む近代化

第七節 文化

第八項 絵画

日本画

 大正期から昭和初期へかけて、土地出身の日本画家として顕斎(けんさい)門の宮本寄傲(きごう)(善次郎、塗山、浜名郡雄踏町宇布見住)、小華(しょうか)門の山下青厓(せいがい)(安政五年長上郡笠井村、現当市笠井町住、昭和十七年一月没、八十五歳)があった。【山下青厓】青厓は花鳥に秀で、その数多い作品は浜松地方の人々より珍重された。【山下青城】その子に青城があり、門弟に小池南厓(当市高林町)があった。また島野式人(当市三組町)・山田丹霞(たんか)(当市鴨江町)・浦田天麓(てんろく)(当市高町)、そのほか中津川渓舟などもあり、荒木十畝門の片野湘雲も浜松に在住したことがあった。酒豪であったという。十畝系では気賀白柳栄畝があった。
 
鈴木鶴仙鈴木鶴仙(浜名郡蒲村大蒲住、紫蘇巻本舗六軒京主人、昭和十九年没、七十歳)は近藤樵仙の門人、富士に鶴の画が得意であったという。
 また京都の竹内栖鳳は浜松の実業家宮本甚七(当市松城町)と交友があり、しばしば浜松の宮本邸に滞在している。その縁故でしばらく栖鳳門に遊んだものに青厓の門人で浜松に住んでいた馬渕春涛(敷知郡寺島村生、昭和三十六年没、七十四歳)があった。
 
鈴木黄鶴】異色の画人として鈴木黄鶴(こうかく)(朝二、明治二十五年長上郡中郡村上大瀬渡瀬家生、昭和十年九月没、四十四歳)があった。積志村(元中郡村という)に住み三十歳ごろ画を志し南画を学び一境地をひらいた。とくに石楠花(しゃくなげ)の画はすぐれているという。個人展(昭和九年三月、浜松市商品陳列所)・遺墨展(昭和十四年五月、浜松連尺宝林堂書店)もひらかれ、最近は昭和四十八年五月に浜松市美術館でも遺墨展が開催されて注目を浴びた。法源禅師を敬慕して『後水尾天皇皇子法源禅師の研究と語録』(昭和十年刊)の著がある(『浜松市史二』)。【鈴木白華和田村篠ケ瀬(当市篠ケ瀬町)には鈴木白華(はくか)(肇)があった。浜松西来院蔵の「築山御前像」はその作である。そのほか清水秀耕があった(竹村清『遠州郷土画人系統表』)。
 日本画家による結社もあった。燦墨社はその一つで原田明治(当市北寺島町)・佐々木興堂(小室翠雲門、蜆塚に住む)・藤田黎仙(れいせん)(当市菅原町)などがその主要な会員であったという。