浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 三

第三章 町制の施行と浜松町の発展

第二節 報徳運動の推移

第二項 浜松と報徳の人たち

報徳商人

 【棒屋】中村藤吉(安政元年浜松田町生、浜松商業会議所会頭、大正十二年七月没、七十歳、墓玄忠寺)は田町の小間物商の棒屋の人。幼名清助、家名をつぎ藤吉と改める。【開墾事業】父藤吉(譲庵、明治二十四年没、七十二歳)からうけた報徳の教を奉じて、「商人は浮沈定め難きものなれば、地所を購ひ若くは薄地を開拓し、一は以て国益を起し、一は以て不時の災厄に備へんことを計らざるべからず」という父の言にしたがって開墾事業に力を尽した。その主要なものに①明治六年二十歳のとき父の奨めによる白脇村矢島新田五町歩の開発。②曳馬(高林・上島)・入野積志・白脇(浜新田)・可美村の不毛地の開拓。③白脇村より舞阪町にいたる浜山下と称する海岸砂地へ防風松林の造成などがある(大正十二年『中村藤吉翁言行録』)。