浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 ニ

第七章 文化の興隆

第五節 庶民の教養・娯楽

一 俳諧

俳諧の庶民化

 こうして遠州の俳壇はほとんど雪中庵系でしめられるようになり、吉田徐生を中心とする浜松の同好者は寛政から文化年間にかけて兄弟庵連と称し、江戸の雪中庵で毎年年頭に刊行する句集『歳旦歳暮』にたびたび投稿している。
 【彦端】また笠井村(当市笠井町)の内藤彦端(げんたん)も多くの門人を指導している。【左光】彦端は元文五年(一七四〇)、貴平村(当市貴平町)の旧家内藤弥市右衛門家に生まれ、若くから俳諧をよみ、酔春亭左光と号した。左光に教えをうける者は近村ばかりでなく、浜松宿の名もみえる。文化年間には酔春亭連として盛んであった。
 【翁百吟解 遠津安布美句集左光芭蕉の句を研究して『翁百吟解』を著わし、さらに遠江の俳人の句を集めて、文化十三年(一八一六)の秋『遠津安布美句集』を版行した。よみ人を地域別(西遠地方)に表示したのが次表である。(うち十余名酔春亭連)。遠州全体にわたる句集はこれが最初である。
 【左光句碑】左光は文政元年(一八一八)九月六日没、齢七十九。門人は彼の七回忌にあたる同七年九月、笠井定明寺に「葡萄の実熟したりけり珠の色 左光」の句碑を建てている。
 文化十四年(一八一七)九月、浜松兄弟庵連の徐生・完枡・燕来・素流らは、藩主井上河内守正甫(まさもと)の移封に従って陸奥棚倉(福島県東白川郡)に移り、浜松の竹坡・薬師の小枝来圃らと兄弟庵連は二つに分かれたが、それぞれ雪中庵の「歳旦歳暮」へ投稿をつづけている。
 
「元日や立出見れは昼のそら 徐生(奥棚倉連)
           行年や波のうへにも山のある 完枡(同)
   徐生老人浜松に兄弟庵を残され棚倉に又兄弟庵を建てたまふと聞えけるに
 陳(つらなる)を深空の兄よはつからす 竹坡(遠浜松兄弟庵連)
           元日や膝にもくへき小田の雁 来圃(同)
 人はおそく我に尋ねつ花の春 可道(同)」
               (文政二年『歳旦歳暮』)
 
遠津安布美句集
 麓には桜咲けり峯の花   酔春亭七十七翁 左光
 春の山ふたたび踏てものおほへ   松しま 可道
 桜咲日やそっと打時の鐘   中ノ町 季竜
 秋のかぜ浪音西にのこりけり   半場  北魚
 鹿鳴や古郷遠き旅こころ   恒武  文明
 小夜砧打や都の片辺   笠井  竜岫

郡名村名人数郡名村名人数郡名村名人数
長上郡植松1長上郡木船3引佐郡気賀2
飯田2寺嶋2井伊谷1
半場1道本2油田1
安間6小松3金指1
石田9小計48小計6
市野1豊田郡恒武3敷智郡浜松16
笠井6老間2和地3
小池1国吉1伊場2
西ノ郷1常光2馬郡1
薬師2萱場1志都呂1
下堀1中ノ町6高林1
石田1松小池1宇布見1
笠井新田1貴平1小計25
飯田1羽鳥1浜名郡新居3
天王新田1御馬ヶ池1小計3
大瀬2小計19合計101
内野1三嶽1