浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 ニ

第六章 藩政の動揺と民衆の動向

第五節 水野氏の移封と弘化三年の百姓一揆

浜松城下をめざす

 ところで、こうなると浜松城下も物情騒然として、明日は一揆の集団が城下に侵入し、水野氏の仮役所はもちろん愛宕下(当市元魚町)の御用達池田庄三郎をはじめ本魚町若森長右(権左)衛門・神明町木綿柳瀬権左衛門七軒町八百屋善兵衛・塩町権太・利町平六・池町久左衛門・天王村竹山孫左衛門が襲撃目標にあげられている、という流言がしきりであった。【池田庄三郎池田庄三郎笠井村の出身で御用商人として苗字帯刀給人格を許され藩の上納米販売にあずかり、屋敷近くに土蔵二棟と早馬(当市早馬町)には酒庫を持ち、浜松の米を江戸に廻し不当の利潤を得ていたという。また若森長右衛門木綿屋権左衛門天王村竹山孫左衛門は藩の出入の米商人であった。こうして浜松市民は短い夏の夜をまんじりともせず明かしたのであった。
 不穏のうちに明けた二十三日。この日も早朝からデマがとび、すでに入野村入野川の土橋付近では入野陣屋支配下十三か村、三方原では三ヶ日陣屋(みっかびじんや)支配下の村々、天竜川畔の鹿嶋原(浜北市)では庄内組百か村の農民が一斉に蜂起して勧農長庄屋宅を打ちこわし、すでに三方面から長蛇の列をなし城下へ行進中ということで、市民が戦々恐々として家業も手につかぬ有様であった。【井上氏出兵】ことに、今日は用人清水帯刀の首を申しうけるという評定が群衆のあいだで一決したという注進が仮役所へ達するにおよんで、水野氏の家中では周章狼狽なすところをしらず、ついに救援を井上家に依頼するにいたった。
 井上家では直ちに物頭以下の者をもって馬込番所成子番所番所大厳寺口・鍛冶町口名残口などの要所を固め、水野家では鑓の鞘をはずし刀の鯉口をゆるめ仮役所へ通ずる神明町を通行するものは一々誰何するという厳重な警戒網をしき、女や子供はそれぞれの菩提所へ避難をさせ万一に備えるというものものしさであった。
 用人清水帯刀は能吏として認められ、吟味奉行・寺社奉行・町郡奉行を歴任し、用人となって勝手惣掛を勤め、身上のよい者とみればすぐに御用金を申しつけ、一方には一般庶民の生活にまで干渉し慶弔には赤飯までも禁止するという苛酷な取締りで人々の怨嗟の的であった。