浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 ニ

第五章 交通・産業経済の発展と町や村の生活

第三節 町や村の生活

町名のいわれ

 袋町(ふくろまち) 袋小路になっていた(現在の松城町)。
 高町(たかまち) 紺屋町坂の上の高台にあって、東高町と西高町(北高町)とに分かれていた。なお、この坂をひくま坂ともいって(前述)紺屋町との境に木戸があった。
 秋葉町(あきはまち) 秋葉社の門前町(現在の三組町)。
 半頭町(はんこうまち) 秋葉町から鴨江寺へいく道筋で中間屋敷(ちゅうげんやしき)があった。修験者のいたところから名づけたのだろう(現在の三組町)。
 御組町(おくみまち) 御組(組屋敷)のあったところ(現在の鹿谷町。日本点字の創始者石川倉次は安政六年正月二十六日にこの組屋敷で生まれている)。
 後道(うしろみち) 東海道往還のうしろにあった。東海道往還に近いところから上(うわ)後道・中(なか)後道・下(しも)後道と三筋の通りがあった(現在の千歳町)。
 元目(げんもく) 玄黙寺があった。
 年行事(ねんぎょうじ) 年間の行事を掲示したところ(現在の尾張町付近)。
 下馬場(しもばば) 馬場があった。城内の馬場に対していった(現在の尾張町付近)。
 早馬(はやうま) 早馬町につづいている(現在の常盤町)。
 分器(ぶんぎ)(分木) 新川のほとりにある。地境の榜示のあったところであろう。ここにある稲荷を分器稲荷といった(現在の田町)。
 船蔵(ふなぐら) 新川の岸にある。かつて船蔵のあったところという(常盤町)。
 百軒(ひゃっけん) 百軒長屋の略称。下級武士の屋敷があった(常盤町)。