浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 ニ

第三章 浜松城下町の形成

第一節 浜松城

城郭

 二の丸 本丸の東に隣りして、土地も一段と低くなる。いわゆる二の丸(小字名二の丸)と、これに付属する北側と東側の広場があり(「明治六年浜松城払下告示」によると四反九畝廿九歩、二の丸跡とある)周囲を低い石垣でかこむ。【城主屋敷 藩庁】二の丸には城主の居館があり、また政庁も設けられて江戸時代を通じて藩政の中心であった(市立元城小学校と市役所の一部となる)。その建物は、さいわいに現存する青山家時代と年代不詳の二の丸絵図の二葉によって大要を知ることができる。
 これをみると、二の丸の主要な建造物は「表御殿」と「奥御殿」からなっており、「表御殿」には藩の行政機関が置かれ「奥御殿」は城主の居館であった。「表御殿」はおよそ五百坪(約一・六五〇平方メートル)「奥御殿」は百坪(約三三〇平方メートル)ぐらいであった。
 【表御殿】「青山家二の丸絵図」によると「表御殿」は唐破風(からはふ)の玄関の奥に広間・使者の間があり、正面奥には近習詰所・年寄詰所・祐筆所などがならび、その左側には上壇間・書院などの城主の執政などに用いられる部屋があり、右側には御用所・勘定所・勝手・台所・番人部屋などのかずかずの部屋があった。坪庭(三か所)も設けられていた。【奥御殿】「奥御殿」へは大奥番所を経て廊下によって通じ、左側が城主の平素起居する居間、右側にはこれにともなう諸種の部屋があった。また二の丸には付属する多くの建物があった。
 これらの建物の部屋別と坪数は次表のとおりである(廊下などを省略したので実際の坪数はもっと多くなる)。
 「青山家二の丸絵図」より後代のものらしい年代不詳の二の丸絵図(『浜松市史史料編一』口絵)によると、その規模はほとんど変化はないが、その部屋名には相違がある(別表参照)。しかし、これらの部屋名をみていると、ここに出仕して藩の事務に専念した諸役人の姿がおぼろげながら浮かんでくる。
 
(表)青山家二の丸絵図の部屋別と坪数
表御殿
台所土蔵
御食たき所
小間使部屋

11.5
4
13
333

玄関
広間
使者之間
上之間
書院
物置
物置
風呂板間
風呂揚り場
風呂窯場
近習詰所
物置
年寄詰所
祐筆所
井 炉 裏 之 間
表居間
次之間
次之間
番部屋
番部屋
小納戸
御用所
勝手所
台所
薪部屋
本〆所
大台所
勘定所
掃 除 者 部 屋
乗物部屋
小者部屋
土間
寄付
台所物置
庭籠部屋
雑部屋

5
12
12
16
20
9
2.5
4
3
9
12
1.25
3.75
7.5
19.5
6
5
4
4
4
8
6.25
12
15
7.5
4.5
32
7.5
4
6
4
12
9
6
7.5
4
奥御殿
居間
次一之間
次二之間
御 小 姓 詰 所
居間
湯殿
風 呂 揚 り 場
物置
奥居間
次之間
茶之間
奥台所
番所
下男部屋
薪部屋
釜場土間
5
5
18
8
5
4
2
2
4
8
3
6
6
6
4
7.5
93.5
二の丸付属建物の部屋
表門
番所
長屋
飼葉置所
飼葉置所
釜屋入用道具入
薪置所
荒糠置所
風呂
掃 除 者 部 屋
職人細工所
土蔵
4.5
1.5
10
4
4
6
9
9
9
9
22.5

(表)年代不詳二の丸絵図の部屋別と坪数
玄関
馬廻番所
鉄炮之間
弓之間
広 間 休 憩 所
移之間
表座敷
茶道部屋
中之口
金奉行所
坊主部屋
溜之間
次の間
物置部屋
書院上檀
次の間
三の間
書院取付之間
物置
座敷上間
次の間
目付詰所
祐筆所
賄詰所
料 理 人 詰 所
使者番所

18
24
22
12
9
24
14
16
9
9
24
14
9
9
18
16
10
5
12
10
14
12
10
12
6
勘定奉行手代詰所
表書詰所
物置
役人詰所
下台所
吟味役所
上方横目詰所
時計之間
表居間
二之間
三之間
次二之間
寝間
座敷
二の間
三の間
次の間
小納所
仏間
銭 方 賄 詰 所
下男部屋
蔵 方 賄 部 屋
物置
土蔵
大 納 言 詰 所
10坪
12
8
3

14
6
24
15
15
12
15
15
5
10
20
15
12
4.5
10





563.5