浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 ニ

第三章 浜松城下町の形成

第一節 浜松城

築城

 家康の移城のさい三河・遠江の士いずれも浜松へ移ったという(『当代記』)が、作左曲輪本多作左衛門重次の屋敷が、同曲輪の下り谷(近藤谷ともいう)には近藤石見守(康用)、秋葉権現(当市三組町秋葉神社)の社地には山家三方衆、鴨江観音堂(当市鴨江)の北築地跡には鵜殿兵庫頭(本興寺過去帳に日治休庵は鵜殿兵庫頭長範父とある『本興寺誌』)、松下加兵衛之綱下垂に住んでいたという(『浜松御在城記』)。また「榊原小平太(康政)のすみける跡は今の二の丸也とも、又高町万松院(現在廃寺)ともいへり。酒井正親名残口の家にすめりときく、本多平八郎忠勝は分器(ぶんぎ)稲荷(当市田町)の西成といへり。作手(つくで)・段峯(だみね)(山家三方衆)の跡をば叶坊に給はりて今住所也」(『曳駒拾遺』)とある。
 ちなみに引馬城主飯尾豊前守の重臣江馬加賀守の屋敷は江馬殿小路(当市連尺町肴町を通ずる小路、沼殿小路ともいったという)にあったという(『曳駒拾遺』)。