浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 一

中世編

第五章 戦国時代

第七節 宗教と文化

仏教

 【鶴見専心】親鸞の在世中から真仏の門弟に遠江鶴見(当市鶴見町)にすむ専心がいて、三河の真宗教団を指導したようである。しかし今川氏は、真宗に対し弾圧の政策をとったため、そのあとはたえた。【一向宗一向宗は応仁の乱からのち近畿・北陸・東海地方で急に発展した。
 
 【三河の一向一揆】本願寺勢力は、寛正(かんしょう)二年(一四六一)ころから蓮如に接近した上宮(じょうぐう)寺(岡崎市矢作町佐々木)の如光の努力でさかんになった。この地に布教し、唯願寺(碧南市西端)・真宗寺(碧南市鷲塚)をはじめ、のち真宗寺を土呂に移し、本宗(ほんしゅう)寺とよび、西三河の本願寺教団の中心とした。本宗寺をはじめ、三河三か寺とよばれる上宮寺・本証寺(碧海郡桜井町野寺)・勝鬘寺(岡崎市針崎)は、多数の末寺道場をもっている。これらの末寺道場は、村落の中・小名主を中心とした農民を門徒にした。このピラミット型の組織が、本願寺によって統一される。この組織は、戦国大名の農民支配にも抵抗することになり、一向一揆はおこらざるをえない。永禄六、七年(一五六三-一五六四)家康の分国統一が進むのに対決して一向一揆がおこった。