浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 一

中世編

第五章 戦国時代

第六節 民政

都市

 【見付町のばあい】中世の町では、市民(町衆)の経済上の実力におされて、大名などは自治権を与えたばあいがある。村落で惣村の組織のもとに「おとな百姓」が村落自治制を運用したのと似ている。遠江見付町(磐田市)は、堀越氏延が城主であった。天文六年(一五三七)四月、堀越氏は滅され、今川氏代官が治め、年貢百貫文を徴収していた。今川義元年貢の五割増をしようとしたが、天文十年に年貢百五十貫文を町民が請け負うかわりに、今川氏から自治をゆるされた。見付では江戸時代でも自治の権利が認められていた。
 
 【浜松の町名主】江戸時代にかかれた『浜松宿御役町由来記』によると、永禄十一年十二月、家康が浜松に入ったときに、町名主を留任させた。この人びとが集会・評定をしたのであろう。戦国時代では、一般に年寄・おとな・宿老・名主沙汰人目代・会合衆などが町政機関の中核であった。
 
 【連帯責任】町の警衛など警察権の一部は町民に与えられた。そのかわり、町民は町内のことについて領主に責任をおう。出火や事故のときは「隣三間」とか「一町全体」が連帯責任をもつ。