浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

浜松市史 一

中世編

第二章 鎌倉時代

第五節 社会と経済

交通

 建久五年(一一九四)十一月八日に幕府は、宿を大小にわけ、早馬と御物のための馬と人夫の数をきめ、宿駅の支配下においた。すでに規定のあることだが、新宿(しんしゅく)が増加したので、かさねて公布した。しかも幕府は、新宿の増加を奨励している(鎌倉時代の宿は三十あまり)。【懸河宿】暦仁(れきにん)元年(一二三八)正月、将軍頼経が上京したときには、遠江の守護北条時房が命令をうけ、横地長直を奉行人とし、遠江の御家人に命じ、懸河宿に御所を新造させた。また建長四年(一二五二)三月、宗尊親王が鎌倉に下向したとき、遠江での宿泊、食事や設営は(『宗尊親王御下向記』)
 はしもと むさしのかみ
 ひきま  おなじ
 いけだ  おなじ
 かけがは おなじ
 きく河  同
とある。武蔵守は遠江守護北条朝直で、時房の子にあたる。高貴の人の宿駅での食事や設営は、守護地頭御家人を使って責任を果たしていた。
 鎌倉時代のはじめに整備された交通路も中期になると衰えだした。承元四年(一二一〇)六月、幕府は駿河から西の駅家に命じて夜警をし、旅人の安全をはからせている。