中津川市/古文献アーカイブ

山口村誌 上巻(第四章 近世)

第四章 近世

第十節 江戸時代の紀行文にしるされた馬籠宿

秋里籬島(編著)
 信濃馬籠・妻籠まで二里。駅中南北三町。其余民居山中に散在す
 皂鵰巖(くまたかいわ)・駅の西、山上にあり。其形皂鵰(くまたか)の岩に集るが如し。故に名となす。信美二州の境なり。
 下坂川・駅中にあり。小川なり。下流湯舟沢にいたる。
 諏訪祠 熊野権現祠・倶に駅中にあり。
 永昌寺・臨済宗、西沢山と号す。福嶋長福寺に属す。
 丸山城址・駅の西にあり。丸山と称す。又駅の南に砦山といふあり。爰を合戦場といふ。木曽家伝に云、讃岐守家村・西野・田立・馬籠に三の砦を築く。これその一なり。水南へ流る。桟、川、山、御坂等古詠多し。
  (中略)
 …木曽路はみな山中なり。名にしおふ深山幽谷にて、岨つたひに行(ゆく)かけ路多し。就中三留野より野尻までの間、はなハだ危き道なり。此間左は数十間、深き木曽川に、路の狭き所は木を伐わたして並べ、藤かづらにてからめ、街道の狭きを補ふ。右はみな山なり。屛風を立たる如にして、其中より大巖さし出て、路を遮る。此間に桟道多し。いづれも川の上にかけたる橋にハあらず、岨道の絶たる所にかけたる橋なり。他国にはかやうなるかけはし稀なり。山の尾崎を廻りて谷口へ入、また先の山の尾崎をまハる所多し。其谷道に横ハりて渓川の流れ、木曽川に落合所多し。これにかくる橋なれバあやうき事甚し。
 
「木曽路はみな山中なり……」の記述は『木曽路名所図絵』の三留野宿の部分からの引用である。この部分の記述が、島崎藤村の『夜明け前』の冒頭の有名な文章と酷似していることから、藤村が『夜明け前』の冒頭を書くにあたって『木曽路名所図絵』を地誌的参考資料として出典したとされる故、引用しておいた。
 筆者であり、編者の秋里籬島(挿絵は西村中和)の『木曽路名所図絵』は、文化二年(一八〇五)、六巻七冊に編集されて大坂、京都より発刊された。