中津川市/古文献アーカイブ

山口村誌 上巻(第四章 近世)

第四章 近世

第六節 村民生活

八 献金と栄誉授与

三 農産物

二 宿場の構成

2 本陣・脇本陣

馬籠宿の本陣は島崎家。島崎家は相模国三浦郡公郷村にあって三浦氏を祖とするが、後裔は分家して永島を名乗る。永正一〇年(一五一三)永島重綱は木曽に移って木曽氏に仕え、島崎監物と改め妻籠に居住した。その子重通は永禄元年(一五五八)馬籠に移って砦を守った。島崎家の中興の祖となった人である。慶長五年の関ヶ原の戦いには山村氏に属し馬籠の砦を固め、その功績により馬籠下代官、翌年には問屋をも命ぜられた。元禄一六年(一七〇三)から本陣・問屋・庄屋を兼ねて勤めるようになった。名字帯刀を許された。
 島崎家の古い屋敷は「石屋坂」を下りた辺りにあったが、寛永一六年(一六三九)二月一八日の火災で家を焼失し、その屋敷跡は「代官屋敷」と呼ばれていたが、享保の検地のとき尾張藩への遠慮から「石屋」と呼ぶようになったという。
 火災後は居宅を馬籠の中央、現在藤村記念館のある場所に移したが、当初の建坪は間口一三間半、奥行き一三間、建坪は一三〇坪で上段の間は入側・書院付きの八畳であった。門構え玄関つきだった(第1図・A)。
第1図 馬籠宿本陣間取り図

A 万延元年の類焼前の間取り

 万延元年(一八六〇)一〇月一九日の大火でこの建物は類焼し、翌年の文久元年一一月に再建された。新しく作られた建物の建坪は焼失前の約半分の七四坪余、上段の間は一〇畳で床の間・書院窓が付いていた(第1図・B)。この建物も明治二八年(一八九五)九月の大火で類焼し、宅地はその後人手に渡り、類焼を免れた八畳と三畳の二間続きの隠居所一棟と井戸が現存している。

B 文久元年に再建された間取り