中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第九章 幕末の中津川

第四節 苗木領政の動揺と改革

一 財政の窮迫

こうした財政窮乏の中で、その救済の一助として武士たちの間に冥加米上納運動が起ってきていることがあげられる。苗木領では従来士族は城の周辺に散在し、各自が屋敷内に「扣」地を持ちそれを開墾し田畑としていた。こうした田畑は享保以前までは見積検分を受け臨時米を上納していたが、それ以後は見積・検地(地押)なども行われなかった。その間に士族達は扣田畑を増やしていった。従ってこれらの田畑から生まれる作徳米の上納を願い出る動きが起ってきた。これが「冥加米上納」である。
 冥加米上納運動は塚本安兵衛(平勘定役)が明治元年(一八六八)五月二八日囲内の田畑相応の冥加米五斗を上納致したいという「口上書」に「趣意書」をそえて勘定所へ、宮地佐左衛門-勘定頭一斗、山中亥之助-目付役一二斗、小倉猪兵衛-家老九斗、加藤庄左衛門-勘定頭一斗五升が相次いでそれぞれ上納を願い出ている。このことは六月一三日には許可されており、上納米そのものは少量であるが、こうした動きに注目しておきたい。
 この前後財政救済にいろいろの試みが行われた。関係分についてはその都度みることにする。