中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第九章 幕末の中津川

第三節 民衆の動き

三 民衆の動き

慶応二年(一八六六)に入ると物価の値上がりがはげしく、民衆の生活が苦しくなるにつれて、各地に一揆や打ちこわしが起ってきた。しかし慶応三年(一八六七)にはいるとこうした現象はにわかに下火となり、これにかわって夏から秋にかけてお祭り騒ぎの狂乱にも似た、「えいじゃないか」運動が起ってきた。
 この騒ぎは八月中旬頃三河付近にはじまり、やがてその周辺に、そして東北・四国のあたりまでひろがったといわれている。
 この地方では「お札祭り」「お札様」ともいわれ、夜中ひそかに屋根の上、坪の内、家前などへ、神仏の守(まもり)を散らして置くことで、これを拾った者がこれは不思議と尊信したり、この出来事に伴う騒ぎが大きな話題をよんだ。乃ちお札様御下り御祝いとして客人を呼んで(時には村中)酒を振舞ったり、投餅をしたり、村中で行事を行うなど、まさに狂ったようにさわいだ。中津川をはじめ東美濃地方では一〇月の中旬頃にこの運動が盛んになり、お札としては秋葉様などのお札がまかれている。
 この当時の模様について阿木「吉村家日記」には、「扨(さて)当年(慶応三年) 不思議成事ニは 八月頃より諸国へ神々之御札ふり候由也 東海道駿府へ八月御札守りふり それより追々東海道上方へふり給ふと誠に大評判 九月一四・五日頃名古屋所々えふり、大のぼせにて町々ニて思ひ思ひ之異風ニ拵へ 豊年祭りと唱さわぎ歩き 尤も所々ニせったい(接待)有 其在(有)様気違の如し おしくさ抔言ものの方へハ生首うでなどふり候と大評判 追々所々ニふり九月末明知へふり候 尤も大方家並ニふり候よし大のぼせ 十月二・三日岩村え初めてふり 松田伊衛方・中野茂助方・山田五郎左衛門方・現金屋藤治方・後に松尾忠兵衛方さへ御礼ふり 日々数多し御上様え御届申上右之御礼表え奉出候 祭り度段願達候処御差留ニ相成内伝心斗也・後にハ其忠兵衛方店のでっちへ天宮のり移り給ふと言事ニて種々不思議あり 十月十日頃ニは松尾ニて右御礼之参詣の者へ赤飯を出ス 同二十日頃大井へふり大さわぎ、中津同断 (略) 近国近辺残りなく御札ふり種々不思議之咄し斗り 或は中仙道津橋えハ娘之子ふり 御嶽宿へハ鯉ふり或は首ふり又金ふり古金黄金銭色々ふり候所も有之抔と 誠ニ気違如く大さわぎのよし不思議千万なり 実に御札天降り給ふなれば 天狐之所為ならんと申事ニ候へとも これらハたまたまの事と見へたり 只下賤之ものとも御神酒其外種々施行等を悦ひ ひゃうしもなき事多くいたし 諸人を迷わすと見へたり(略)」[傍点筆者]とあるように御札が降ったといううわさをきっかけに、狂乱のあらしが各地に広がっていった。
 このことについては、太田陣屋より同年九月二一日名古屋においては神仏札が天降りしているので、そうした事実があれば即刻届出るようにという通達を村々へ出している。しかしその運動も暮には下火となってくる。