中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第八章 寺社

第二節 寺院

三 苗木領の寺院

苗木遠山家の祈願所として龍王院と天王院とがあった。
 龍王院は、苗木城の外郭にあたる風呂屋門の西の小高い所、足軽長屋の隣地に在り、光耀山金巖寺龍王院といった。この寺は遠山家の祈禱所で真言宗であった。ここは、苗木城の鎮守龍王大権現(後高森神社)の別当が兼帯していた。
 毎年正月、五月、九月の一六日には暁七ッ時(午前四時)より城中で大般若経祈禱があるが、この時には龍王院、三井寺(坂下)、雲台寺(福岡)から城中の書院に出仕して転読して祈願般若会を修行した。
 龍王院には九石が与えられ、佛好寺と同じようであった。但し外に二人扶持が与えられ扶持渡にて渡された。また日比野村皇太神宮(神明神社)の隣地円生寺分一石四斗定納の場所が与えられ、永代引免になっていた。

Ⅷ-38 苗木 高森神社

 天王院は、上地真地にあり、古江山松嶽寺天王院といい、天台宗で京都聖護院宮霞下勝仙院の配下に属している。
 龍王院と同じように遠山家の祈禱所にして、寛永元年(一六二四)九月遠山家より真地にて定納高二石三斗余の場所と屋敷地(東西六丁、南北八丁)坪数一二町が与えられ永代引免になっていたという。しかし、正徳四年(一七一四)上地村の草山がなくなり百姓が困っていたので、願いによって一二町の処引縮め二町四方を与え、代りとして永代二人扶持が与えられるようになった。
 天王院付近には院にかかわる地名、寺跡が残っている。その一つに鬼門寺跡がある。ここは、天王院松嶽寺の分れ寺のあとであり、苗木城よりは北東(鬼門)にあたったので鬼門寺と呼んだ。一代限りで廃寺となり、林の中には石碑、寺跡が残っている。また、上か根坂を登って山の田へ行く道の右側に、天王院の先祖を埋葬し石碑の建っているところがあるが、ここを山伏塔と呼んでいる。さらに瀬戸街道をいって右手に枡形の土手があり大門といっていたが、現在はない。

Ⅷ-39 鬼門寺跡