中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第八章 寺社

第二節 寺院

二 近世の寺院

阿木字川入地内に在る。祭神は級長津彦(しなつひこ)・級長津姫命(しなつひめのみこと)である。創建は不明であるが、風神神社由緒によると、奈良県生駒郡三郷町にある大社より分霊を勧請したとある。最古の棟札には、元和四年(一六一八)六月再建、と記されている。風神神社について矢頭伝市は次のように記している。
阿木川をさかのぼること四粁、峡谷に巌窟ありここより飄風生ず奇勝なり、巌上に一社祠を建つ風神と称す。又夏風三郎の祭日を行うに至り、二百二十日の暴風を恐る農民群り参詣し遂に近傍十数里の村民参拝するに至れり。元これ長楽寺の和尚の手に依りしを以て賽宝亦長楽寺の所得なり。
 最近になって「阿木風神宮祭礼之図」という木版が発見された。この版木は近世につくられたもので、これによると長楽寺が広壮に描かれ風神は奥の院となっており、祭典も長楽寺で行われたことを裏づけている。明治時代になって今の姿になったものである。
 例大祭は八月三〇日前夜祭、三一日が大祭で、神を鎮め、神の加護により二百十日の災厄を免れ、農作物の豊作を祈願するものである。
 戦後の一時期は当元と氏子だけのお祭であったものが、昭和三四年九月の伊勢湾台風以後は名古屋周辺各地に「風神講」が設けられ、年ごとに参拝者が増え、今では大型バス三〇数台を連ねて参拝をする盛況ぶりである。

Ⅷ-32 阿木  風神神社