中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第八章 寺社

第二節 寺院

二 近世の寺院

市内駒場(駒場三六七番地の一)に在って東光山福昌寺と称する。曹洞宗に属し、薬師瑠璃光如来を本尊とする。恵那市大井町稲荷山長国寺誌に、福昌寺はもと現應寺と称したと記されている。現中津川市駒場、津島神社のあたりに「げんのう」という地名があったことや、付近から五輪の塔など出土したことが古老の伝えにあるが詳かでない。
 豊臣秀吉の没年月日、慶長三年(一五九八)八月一八日に、開山・殺心存能和尚示寂と記録されているので、開創は慶長以前と推定される。開基は木曽の豪族、千村平右衛門良重(一五六六~一六三〇)である。殺心和尚については曹洞宗系譜に見当らず或は他宗かとも思われる。元和元年(一六一五)に開基良重から福昌寺に対して駒場桃山に寺領二反を薬師堂地として永代寄進されている。今日の大岩薬師である。
 寺運は次第に衰頽していった様で、殺心和尚寂後百年、元禄一一年(一六九八)長国寺四世・当寺開山舟山春瑞示寂、更に五〇年を経て寛延元年(一七四八)開法大興義雄示寂と墓所に記され、この頃より長国寺の法系寺院となったものと思われる。大興義雄を一世として現一九世に至る。天保年間(一八三〇~一八四三)火災により再建されている。中山道沿いに位置して約四百年、栄枯盛衰の往還を展望して来たと思われるだけに、ほとんどといってよい古文書類の散逸が惜しまれる。良重の筆になる薬師堂寺領の永代寄進状が残っているのみである。
 恵那中部八十八ヶ所の第八四番札所である。大岩薬師は第八七番と第八八番(廃寺となった信貴山の分)の札所になっている。因みに大岩薬師は、環境市井を離れて閑寂、庶民の祈願所に適し年間香烟の絶えることなく、四月一二日の例大祭は盛大である。
 歴代住職
 大興義雄 松山義柏 乗輪弘宗 是翁大非 高擔益明 宏玄宗渕 不老梅喬 百川雪城 大杲頓乗 實宗太音
 乗学真宗 牧巌曉童 徹秀玄底 大心善雄 大圓道光 大典亮雄 大鑑典雄 誓準良弘 宗謙(現住)

Ⅷ-24 駒場  福昌寺