中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第八章 寺社

第二節 寺院

二 近世の寺院

市内本町二の七の二〇に在って寂光山西生寺と称する。浄土真宗大谷派に属し、阿弥陀如来を本尊とする。開基は越前朝倉家一門の周興師で、越前一乗谷の草庵を去り飛驒高山・中山道・美濃街道を経て木曽谷の中津川宿に入り、元和元年(一六一五)清水垣外に惣道場を創立した時にはじまる。元和五年の粟津右近奥書、中津川村惣道場宛の文書には次の様に記されている。
 
 寺内東西十弐間 南北十六間 寺附田畑三反六畝六歩 此高弐石四斗三升六合免許にて無税地成
 
 四世光量院釈周哲大導師の元禄九年(一六九六)堂を建立して寺号を許される。それ以前は西林寺と号し元禄九年以降西生寺と号するに至る。寂光山の山号は延享四年(一七四七)の文書にも明らかである。
 文政元年(一八一八)本堂・庫裏を焼失したが、天保三年(一八三二)秀円の代に再建された。
 本尊以外の宝物には、親鸞聖人作と伝わる座木像、蓮如聖人自筆六字名号、全御文五帖目一通、夢窓国師画讃紙本戯画一幅などがある。
 梵鐘は戦時中に供出され、現在の梵鐘は昭和二五年に鋳造されたものである。
 歴代住職
 朝倉周興 朝倉竜典 朝倉西林 朝倉周哲 朝倉竜王 朝倉竜鏡 朝倉周全
 朝倉秀伝 朝倉周弁 朝倉秀山 朝倉秀慶 朝倉秀圓 朝倉秀成 朝倉秀弘
 朝倉秀麿 朝倉得雄(現住)

Ⅷ-23 本町  西生寺