中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第七章 文芸・教育

第二節 教育

二 藩校

字梛(なぎ)の地に明治二年当初より建設が進められ、同年一二月五日落成した学校は、日新館と名付けられた。
 開設に当って、時の藩知事一二代の当主遠山友禄より三〇五両が下付され、領内三三か村の住民二九二人より四五九両の献金があり、合わせて七六四両が基金とされた。
 日新館内には、学神として三神(八意思大神・忌部広成・菅原道具)と国学四大人(荷田春満・加茂真渕・本居宣長・平田篤胤)の新宮を造営し祭祀した。
 入学を許された者は、はじめ士分の子弟だけであったが、後には軽卒はもちろん平民の子弟も詮議の上、入学を許可された。教授の内容は、本居宣長、平田篤胤の著書を講義し国体精神の育成啓蒙を基本とし、漢字はその余暇をもって教えることになっていた。教授の順序は、いろはより始めて消息往来、謹身往来、国学入門へと進んだ。また生徒は、毎朝校内にまつる学神、国学四大人に参拝してから授業に入ることになっていた。
 試験は毎年二回行なわれ、当日は知事および大小参事が出席し、成績優秀者には平田篤胤の著書を賞与した。
                                    (後藤時男・苗木藩政史研究)

Ⅶ-65 日新館(水垣清氏蔵)