中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第七章 文芸・教育

第一節 文芸

二 俳諧

句碑によってのみその実在を知る謎の俳人たちがある。そのうち風山舎婦猿は天神宮の伏字のある、<神風や天の恵みある宮涼し>の碑陰に、安永五年(一七七六)申六月丑ノ五十六歳とあり享保六年生れと分かる。また六尺庵は後述する歌仙塚の「標示石」に「癸卯冬六尺庵主人」と彫られており、その時代の人であったことが分かる。ただ指月亭糸甘(しかん)は旭丘公園に二基、扇薬師に四基も句碑を残しながら素姓も年代も皆目分からない。一説では菅井啓一氏の祖、菅井儀右衛門と推定されているが、今一つ確証を得るに至っていない。