中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第八節 行旅

五 西国めぐりと金毘羅参り

二月二七日の七ッ半[午後五時]頃に大坂入り、日暮れてから蟹江貞助方に着くが、この日は風呂がたいてなく、番頭の案内で湯屋へ行っている。「…帰りて酒 飯 馳走に預り道中の咄し致し五ツ半[午後九時]頃伏す」と、一日を終えている。二月二八日から三月四日まで四人は蟹江方に逗留し大坂見物をしている。見物場所は京都と同じように表にまとめた。三月一日は京都の寺社参拝中心の見物と異なり「…戎(えびす)橋ヲ通り 大丸店呉服・三井呉服・とらや伊蔵 鴻池金物」と、当時の大店を見物し、とら屋で饅頭を買っている。

Ⅵ-143 大坂とその周辺の見物場所

 三月三日、大坂を出立するのに先だち、蟹江貞助方より琥珀一つと絵二・三枚をそれぞれが贈られ、久左衛門は箱入りセメン(薬か)一斤を別に贈られた。四日、一行は貞助、貞二郎[子息九才]内室おせん、手代寅吉、下女おあきの五人に二軒茶屋まで見送られ、田丸越えの旅程で伊勢へ向かった。
 三月六日の宿泊地五条[奈良県五条市]では前年八月一三日の中山忠光を頭領とする天誅組の代官所襲撃の跡を見分し「…誠に大そうな節也」と、話を結んでいる。このため橋本[和歌山県橋本市]の入口には紀伊徳川家の番所ができ、往来手形を改められたが、久左衛門らは往来手形を持参していないため、宿泊した宿屋の名印をした宿帳[金比羅道中宿帳]を提出するが、高野山の宿坊の切手をもらってくるように命じられた。
 七日、高野山宿坊常慶院に宿泊する。「大師様へ御施行」と、唱える一二・三歳の童子に同院に案内されるが、これは、登山者全員を案内するのでなく、久左衛門らだけだと、「…誠に以て有難事に御座候…」と、感激している。高野山内では去る二月二二日に、宿坊八〇坊、町家二〇〇軒余が約五時間の間に焼失していた。
 八日高野山を出立し五条へ戻り吉野に向かう。この日は土田[奈良県吉野郡大淀町]に泊る。
 九日吉野山蔵王権現や塔ノ峰[多武峯]などを見物し、はせ[奈良県桜井町]小田屋に泊り、翌日 西国八番札所長谷寺に参詣する。
「…桜有り花盛りニテ誠ニ景色宜敷事吉野より五そ倍もよろしく候」と、もう金毘羅参りに旅立った吹雪の日より、桜が見られる季節になっていた。
 「此の街道ちか道といえどもよし 山道に御座候 とっくぜにのいらぬ道中に御座候」と、「関東朝日講宿付」でも案内されている田丸越えにて伊勢に向う。途中、石な原[三重県一志郡美杉村]と田丸[度会郡玉城町]に宿泊し、三月一日伊勢御師田中河井太夫宅へ四ッ時[午前一〇時]に到着し、すぐ様、内宮と外宮を参詣し御師宅へ七ッ半[午後五時]頃に帰る。