中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第八節 行旅

四 善光寺参りと女人手形

阿木地区広岡の鷹見家所蔵文書の中に
・善光寺参り 天保一三年(一八四二)、・京都参詣の入用覚 文久三年(一八六三)、・名古屋行き 亥年一一月の旅行に関したものがある。亥年一一月「名古屋行き」では、一一月二六日、二七日の二日間に おそらくその場で食べたであろう「さつまいも」を、美味であったのか、都合七回にわたり購入し七六文を支払っている。「京都参詣入用覚」では、東本願寺の参詣と大坂まで足をのばし芝居見物をしている。これらは弘化三年(一八四六)から広岡の庄屋を務めた市右衛門が書き残したものである。
 天保一三年(一八四二)一〇月九日より一八日までの一〇日間、市右衛門は善光寺参りに出かけたが、そのときの休泊地や土産などの講費用をⅥ-140表にまとめた。この旅では善光寺参詣のほか浅間の湯につかり、松本では小倉帯を買い、伊那大嶋では水引きや元結をと結構旅を楽しんでいるようだ。

Ⅵ-140 善光寺参りの休泊地と諸費用
天保13年10月(1842)

 「秋葉参り」が遠江と三河の周遊の旅であったように、「善光寺参り」も行きは木曽路、帰りは伊奈路を通り、飯田から大平峠を越し広瀬に泊り広瀬からは蘭(あららぎ)それに中山道との出合い橋場まで一気に下り、馬籠・落合・中津川宿から広岡に帰っている。帰路となった大平越えや、清内路を通る街道はずい分と利用されていたのである。