中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第五節 助郷をめぐる諸問題

五 両宿と助郷村の争い

この二つは俗に番衆と呼称され同一視されているが、職務の上で違いがある。上方在番(大御番)は将軍先手の軍隊として、武具・馬具一式を持ち戦時編成による行軍形式で三日間にわたり通行したといわれているが、必ずしも整然とした行列ではなかったようだ。組頭や番衆は旗本でも中堅に位置し相当数の家臣を従え、与力でも槍持御供が付き、大御番(在番)通行は大行列となった。
 大坂御定番は城代の支配下に置かれるが老中の系統に入り、大坂城の警備・行政の補佐をし一・二万石の大名が任に当った。「与力三〇騎 同心一〇〇人」は、家臣で構成されており大坂御定番も戦時編成で行列を組み通行した。
 番衆とは在番中の主戦力を指すもので、番衆の通行とは上方在番通行のことであり、御定番の通行と同一視され易いが、いずれにしろ御定賃銭の通行であり、宿や助郷の負担には変わりはなかった。