中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第五節 助郷をめぐる諸問題

四 助郷制度のゆきづまり

(一) 和宮下向と助郷

大湫宿は和宮下向にあたり、仮宿舎・人足小屋・馬小屋・煮炊小屋・便所・物置をつくらなければならなかった。宿の準備は領主である尾張徳川家の責任であり、同家はその入用板の一部を向領(木曽川の北)で買上げた六〇〇駄の運送について、馬払底の理由で太田宿陣屋では岩村領へ依頼してきた。岩村領では久須見村へ申付けたが、馬少なく二〇〇駄しか運べない。そこで残り四〇〇駄の運送を阿木・飯沼・東野・永田各村に申付けた。
 一駄 雪板六束付 さわら八束付 一駄賃四五〇文で、飯沼村へ二〇駄申し付けられたが、引き受けなく村で二〇〇文増駄賃銭をして、次のように出勤している。
 一〇月一五日  二駄 与八・栄助
  同 一六日  二駄 利兵衛・藤四郎
  同 一八日 一〇駄 利兵衛・義右衛門・九郎治・新六・助右衛門・助治・与八・栄助・藤四郎・嘉兵衛
二〇駄引き受けであるが、記録は一八駄分しかなく、その事情はわからない。出勤者の名前をみると飯沼村の庄屋・組頭級ばかりである。この運送も本来は助郷村が持つのではないが、特別ということでの負担である。