中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第五節 助郷をめぐる諸問題

二 苗木領の助郷

(四) 飛州伝馬

    急キ追触  壱通  [十二月七日田瀬村持参仕候]
 一 人足 四拾五人長持拾五棹   一  本馬 六疋
 
右ハ此度明廿七日出立江戸屋敷ゟ飛州高山陣屋迠日和田通り差遣し候處福嶋宿に而西野村末川村差支ニ付無據美濃路廻り竹原通り通行致候間宿々人馬手当差支無之様取斗猶又川越船渡等有之場所者差支無之様取斗可給候           以上
          卯(慶応三年)                 新見内膳内   栗林 永(カ)吉 ※傍点筆者
                                         八賀 定助
           十二月五日同断                                     (尾沢家蔵)
 
 この伝馬追触れには、江戸より飛驒高山の陣屋へ行く公道としての脇街道の二つのルートが書かれている。実際には、美濃廻り竹原通り、日和田通り、野麦通りの三つがあり、「飛州志」(享保年間、飛驒代官長谷川庄五郎著)によれば、美濃路通りを南道、日和田通りと野麦通りを東道といい、また、夏道・冬道の区別をつけ呼んでおり、飛驒高山より江戸まで夏道九日と半日、冬道一四日行程であった(第九節飛驒街道参照)。
 ※ 美濃路竹原通り伝馬継村(南道=夏道)
 ------飛驒---------  --------美濃---------
高山-久々野-小坂-萩原-下呂-御厩野加子母-付知-田瀬-福岡-日比野-上地-中津川宿

 竹原通り美濃路には、苗木領四か村(田瀬・福岡・日比野・上地村)が入っており、このうち田瀬村を除く三か村は飛州伝馬と落合・中津川両宿の助郷にも出なければならず二重の伝馬勤めであった。