中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第五節 助郷をめぐる諸問題

二 苗木領の助郷

(二) 助郷総代について

Ⅵ-125表は盆前までの半年間に要した諸雑用費と総代給(慶応三年は一日に付銀三匁七分五厘で、三月一五日より七月一五日まで一二〇日分で銀四五〇匁九厘)を苗木領川北八か村に阿木村を加えた九か村に対して割付したものである。日比野村はこの年総代役を勤めたので総代給の割付はないが、上地は銀一〇匁二分八厘、瀬戸村は銀一一匁六分九厘、阿木村は銀一七一匁九分三厘の総代給付負担をしている。この総代給と諸雑用費の合計が、勤人馬賃銭以外の負担であるから、総代給の割合をみると、上地村は村全体雑用支出の五・七%が総代給である。同様に瀬戸村は六・四%、阿木村は二四%となる。
 次に慶応二年(一八六六)にまとめた「文久元年(酉)から慶応元年(丑)の盆前まで、伝馬勤高取調」(古田家文書立教大学蔵)Ⅵ-126表は、上地村における五か年(実際は四年半)の人馬賃銭に諸雑入用を合計した村負担合計額を銭であらわしたものである。文久元年(酉)の諸雑入用銭一八貫一七八文に先の総代給割合五・七%をかけ、総代給を推定すると、一貫三六文となる。同様に五か年分を算出すると、文久二年(戌)は一貫五〇三文、文久三年(亥)は四貫四五七文、元治元年(子)は一貫八四文、慶応元年(丑)盆前半年は九八八文となり、五か年分合計九貫七〇文を総代給として上地村が負担したものと推定される。

Ⅵ-126 慶応二[乙丑]年 酉より丑の盆前迄  人馬勤高取調 (上地村)