中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第四節 中津川・落合両宿の助郷

四 助郷割当の実際

   二条御番衆下り (安政六年 =一八五九)
 一 小笠原加賀守様御下りニ附  四月十五日 御嵩御泊り  同十六日 落合御泊り
   御同人様御組御番衆      同十六日 大湫御泊り  同十七日 妻籠御泊り
   御同人様御組御番衆      (一七日) 大湫御泊り  同十八日 妻籠御泊り
   稲葉様御組御番衆        十八日 大井御泊り  (一九日) 野尻御泊り
   御同人様組御番衆        十九日 大井御泊り    廿日 野尻御泊り
   稲葉兵部少輔様          廿日 御嵩御泊り   廿一日 落合御泊り
 右日並の通りに付 大御番頭前後二日其人足七人割・馬八分割 御組御番衆中四日其人足五人割馬五分割合ニ
 〓 人足壱人半 四月十六日 九ツ(十二時)詰中津川
 〓 人足壱人半 四月十七日朝六ツ(六時)詰中津川
 〓 馬壱疋   四月十八日朝六ツ詰中津川
 〓 人足壱人半 四月十八日暮六ツ(十八時)詰中津川
 〓 人足壱人半 四月十九日暮六ツ詰中津川
 〓 人足弐人  四月廿 日昼九ツ(十二時)詰中津川
 右之通り 日並詰刻無相違中津川宿迠為御可被成候 大切御通行に付 人馬共役の者に精々御大切に相勤申候様に申聞せ被成候 勿論支配人中御差添越可被下候 以上
   (安政六年=一八五九)卯月十三日                    (千旦林当番庄屋)当番
   下久々利方御組                                 (千旦林 林家文書)
 
 以上から考察してみると、
 ・通行数……二条御番頭及びその組衆の通行にわけて、御番頭二通行、組衆四通行の計六通行。
 ・日数………四月一八日が二通行となっていて五日間。
 ・割当人馬…御番頭通行は百石に付七人、馬八分割、組衆通行は百石に付五人、馬五分割となっている。
 これを高二五石の千旦林村枝村中新井の久々利方分として、一通行に人足一人半とか、馬一匹というように割当てをしている。四月一六日~四月二〇日までの計は人足八人、馬一匹となる。中新井久々利方の百姓は一一戸(宗門帳)であるから、戸別割というように考えたとすると、一戸当り人足か馬かどちらかが割り当てられる程の数である。
  これを五二五石の千旦林村について考えると、百石に付七人割、馬八分では人足三六・七人、馬四・二匹となり、これが二通行あるから人足七三・五人、馬八・四匹であり、百石に付五人、馬五分割では人足二六・二人、馬二・六匹となり、これが四通行で人足一〇五人、馬一〇・四匹となる。五日間の総計は人足一七八人半、馬一八・八匹となる。また日比野村の負担はⅥ-114表のようであり、さらに、中津川・落合宿助郷高八三〇二石の一三か村全体では、人足二八二二人、馬三〇二・五匹の負担となる。

Ⅵ-114 安政6年 日比野村の二条御番下り通行負担

  助郷詰刻について……御番または組衆の宿泊地によって、中津川宿への詰刻が異なっている。
   落合泊りの場合……九ツ詰(一二時)
   妻籠泊りの場合……朝六ツ詰(六時)
   野尻泊りの場合……暮六ツ詰(一八時)