中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第四節 中津川・落合両宿の助郷

一 助郷

助郷は村高に応じて、幕府が課するものである。従って幕府が諸大名、旗本などに与えた表村高によって課せられてくるから、諸領主内検による新田村、つまり太閤検・石見検に出ていない村には助郷の負担は、課せられないのが筋である。
 阿木村は、中津川・落合両宿の助郷であるが、技郷広岡新田は、幕府の指定分には入っていなかった。そこで阿木村は、同村の助郷負担を助ける意味で、広岡新田に同負担の一部を受持ってくれるよう要請し、広岡新田もこれを受入れている。その時の往復文書によれば、これを「又助郷(またすけごう)」または「又助(またすけ)」と呼んでいる。