中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第二節 中津川宿

六 休泊

(二) 休泊

安政五年(一八五八)三月一四日 加賀松平筑前守が中津川宿に宿泊したその折、前後の動き等にもふれ宿泊の実際をみることにする。
 
 正月一五日 役人二名が触書を持参し泊る。これに対し本陣が請書を出す。
 正月一八日 役人二名が人馬触・旅籠触を持参、本陣請書を出し酒茶漬で接待、相場書も渡す。直ちに出発。
 二月一九日 役人二名が御治定御触を持参、請書を出し、酒茶漬けを差出す。
 三月 四日 役人一人が木曽路での人馬百人百匹は六ヶ敷しかったので話し合いのため来津宿泊、話し合いができ一泊一昼にて出発。
 三月一〇日 役人一人が中通員数帳持参、請書を差し出す。
 三月一一日 役人二名が人馬触、その他の触を持参、請書・下宿帳一冊渡す、酒茶漬を出す。
 三月一四日 宿割役人他三〇名来る。用意した下宿割図面をみせたところ二、三軒変ったがとりたてて見分はなかった。従って前に渡した下宿帳は返ったので没にした。関札を二枚受取る。本陣を見分され御幕帳一八間(上段前)・長柄掛一か所・廐環六つ修理を言渡され、修理代は当日支払われるとのこと。旅籠場増をお願いしたが、当日道中奉行にお願いするようにとの事であった。それぞれに酒を出す。居湯(おりゆ)を用意したが使用されなかった。
 三月一六日 松平筑前守お下りお泊り、本陣へは四一人、下宿は一一九軒、下宿でも上一人二二〇文、中一人二〇〇文、下一人一八〇文と定めていたが、米価高騰で苦しい旨お願いしたら、手当として九両下さった。関札は西は銀右衛門借家前、東は吉五郎向に立てた。玉子三〇個を差上げた。苗木からもお使いの武士が挨拶に来ている。翌朝茶屋坂まで見送りをしている。
 
 この実際は、姫君の輿入れ等とともに例外的で、前述したように多くの場合はもっと簡単に進められている。