中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第二節 中津川宿

六 休泊

(一) 本陣・脇本陣

宿駅の任務の一つは 旅行者の休息や宿泊の施設をすることであった。武家は常に軍旅にある気持ちであるから、その主人のいるところはいつも本陣であるという意味から転じて、武家の主人の休息または宿泊する旅宿を本陣というようになったといわれている。
 本陣に休泊するのは大名だけではなく、勅使 院使 宮 門跡 公家 旗本その他、本陣で休泊するのが原則であった。
 本陣は宿によって相違はあるが、天保の調査では、東海道が一宿平均二・一軒で、中山道・奥州道中で一宿平均一・一軒、日光道中で一軒、甲州道中で〇・九であった(宿駅・児玉幸多)。中山道わけてもこの付近は一宿一軒が大半を占めていた。本陣のみで収客しきれない場合とか、本陣に支障の出来た際、大名・高家が宿泊する旅宿で、本陣の代用となる旅宿が脇本陣であった。この脇本陣の数も前掲書によると、東海道で一宿平均一・三軒、中山道一・五軒、日光道中一・三軒、奥州道中で一・一軒、甲州道中が一軒で、数は本陣同様宿により異なるが もっとも多いのは一宿一軒であった。
 中津川・落合両宿とも本陣・脇本陣は各一軒あり、その位置はほぼ宿内の中央に位置していた。中津川においては、現在の市街地で位置関係をみると、中津川電報電話局の位置(道路から建物に向って右側寄り部分)に脇本陣があり、道路を隔ててその向いあいに本陣があった。現在では当時の面影は勿論、その旧跡さえわからない位の変貌ぶりである。

Ⅵ-90 中津川本陣付近図