中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第二節 中津川宿

五 人馬の継立

(二) 伝馬等の嘆願と申し合わせ

前項と同じ元禄三年(一六九〇)四月、落合宿から鵜沼宿までの七か宿の問屋が連名で尾張徳川家の郡奉行に嘆願した内容は、次の通りである。(九か宿のうち大湫・細久手両宿は加わっていない)
(1) 近年、東美濃の宿々が困窮し、御伝馬をお定め通り常備することはできなくて、大変困っている。木曾路では、四・五月田畑耕作の多忙な時期に、通行が多く、参勤交代の大名もこの時期一度にお越しになる。また、たとえ東海道を通行される大名も、駄荷物は中山道へ回されるので、継立量が多くなる。そんな時、各宿には馬数が少ないので、一日に一度継立を終え帰って来た馬を、二度目の継立てに使いたいが、宿間の距離が遠くて山坂を越えなければならないので、二度目の継立に使用することは不可能である。しかし駄荷物を遅滞させることがあってはならないので、止むを得ず、駄荷物が四個あると、一個あたり人足二人宛でかついで運んでいる。
 従って、一駄分に人足八人が入用であるが、一駄分の駄賃銭しか支払いがない。こんなことでは人足も生活できないから、人足を雇おうとしても、応じてくれない。しぜん伝馬役の方(或いは宿駅)で増銭をして雇人足をすることになって、出費がかさんで困窮が募り迷惑している。
(2) 東海道は普段に上り下りの荷物の継立があるので替馬をする。木曾路は荷物の継立が少なく、通行の多い四・五月でも、上りのときはのぼり、下りのときは下りばかりであるので替馬ができない。宿から宿へ「付通し」或は人足による「釣通し」に勤めるような状況である。それ故に人足共に困窮する。
 以前は商荷物として、信濃より近江八幡へ行く苧荷物が絶えず通り、上方から奥筋へ行く綿荷物・呉服荷物・古手荷物・椀や家具・その他小間荷物が、一年中絶えず通ったが、それらの荷物が近年は舟回しになったので、普段の相対賃銭による収入がなく、口過ぎができず ますます困窮に陥っている。
(3) それに反して、近年は木曾路川並御用の役人・文書を運ぶ証文人馬の継立、尾張徳川家の上松材木役所、同家の大井の陸上木曾材番所、高須松平家の信濃伊那郡佐竹村陣屋などの役人や文書荷物の継立、去年から始まった福島への七里人足、木曾の材木の継立御用等々を勤めている。
(4) 中山道の各宿駅の人馬の定は、一宿に馬五〇匹・人足五〇人を常備することに、以前より定められていた。しかし一宿に漸く一四~五匹しかない状態である。ところが、去冬、渡辺佐左衛門様が調査された時には、かねて定めがあったので、馬五〇匹・人足五〇人にて勤めていると書付・捺印して差上げた。
(5) 中山道当地方の宿々は、右記の諸事のように内々の入用が多くて大変困惑しているので、お救いをお願いするというものである(市岡家文書)。