中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第一節 中山道

三 中山道の道筋

道は曽根松坂の下りになる尾根伝いの道である。途中僅かに石畳が認められるが、かなり崩れている。道はやゝ平坦になるが幅が狭くなっている。道の左側に大きな松が二〇本程並ぶ。更に進むと今度は右側にも松の大木が一〇本程道に沿って並んでいる。枝を縦横に伸ばし、他の雑木と混生しているため少し気をつけて見ないと見逃がしてしまう。道は尾根を通っており、松の枝から見越す左右の景色は低くなって、少し遠くに別の山の山腹が姿を現わしている。
 やがて道の前方が開け、湿気を帯びた広場に出る。右手少し奥まった所に石室を築き、その中に三十三観音が祀られている。この三十三観音は阿波屋観音とも呼んでいる。天保一一年(一八四〇)道中の安全を祈願して、大湫宿の伝馬連中一五人をはじめ、この道を利用する運送屋、飛脚才領、中馬連中が建立したものである。阿波屋観音から少し行くと「びあいとう」という水を売っている所があったという。

Ⅵ-51 阿波屋三十三観音

 ここから先は土道が農道にかわっている。道から左手へ少し入った所の凹地に清水があって尻冷し地蔵と呼ばれる宝永八年(一七一一)の石仏が祀られている。この辺りで新しい堀割りができており、一旦舗装された道へ出るが途中から右へ入る。道は石がごろごろした急坂の山道で、しゃれこ坂という。路傍に十三峠八丁坂の高さ一mばかりの観音碑が建っており、「右ハざいみち」と道しるべになっている。大湫宿から大井宿までの間に十三の峠があり、大小の坂がつづく起状の多い道になっている。

Ⅵ-52 尻冷し地蔵

 
 <中山道筋道之記>
 そね松坂
   大井宿端ゟ此所迄二り廿二町五十間此所ゟ右之方大湫村枝郷神田百姓家見ル
 加賀白山
 郡上山
   そね松坂峠ゟ右之方ニ見ル
 志ゃれこ坂 右同断大井ゟ登り坂ニ□四丁程
   大井宿端ゟ此所迄二り三十一丁四十三間
 <壬戌紀行>
  地蔵坂といふ坂を上れば右に大きなる杉の木ありて 地蔵菩薩立たせ給ふ 又俗におつるが茶屋の坂ともよぶは おつるといふ女の茶屋ありしより かくいひならはせしとぞすこし下りて又芝生の松原をのぼりゆく事四五町 あやしき石所々にそぼだちて赤土多し 曽根松の坂といふ 又坂を下りてゆくに 左のかたの石より水ながれ出る順禮水といふ つねにはさほど水も出ねど 八月一日には必いずるといふ むかし順禮のもの 此日此所にてなやみふしけるが 此水をのみて命たすかりしより 今もかかる事ありといへり
 
 坂道は童見ヶ峯、山神坂、寺坂、前坂と続き大湫宿に入るのである。
 宿の入口、前坂の左手に宗昌寺がある。境内には文化一一年(一八一四)の女人講碑のほか、宝暦四年(一七五四)の宝篋印塔、同一〇年(一七六〇)の石灯籠、文政八年(一八二五)の供養塔がある。寺は宿の南東に当たる小高い所に位置しているので、境内からは宿が一望できる。坂を下って真直ぐ進み、三叉路を直角に左へ曲がると宿の本通りである。
 
 <中山道筋道之記>
 同所山神 一社 往還登り右之方三十間入
 前坂 大湫宿入口大井ゟ下り坂一丁半程
   大井宿端ゟ此所迄三り二丁十三間
 <壬戌紀行>
  はじめてのぼる坂を寺坂といひ 次を山神坂といふ まかりまかりて のぼりくだり猶三四町も下る 坂の名をとへば しゃれこ坂といふ 右の方に南無観世音菩薩といふ石をたつ 向かふに遠く見ゆ山はかの横長(ヨナカ)たけなり