中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第六章 宿・交通

第一節 中山道

三 中山道の道筋

坂を登ると細山の集落がある。こゝに炭焼立場があった。
 集落は道に沿って両側にあり、軒下を通るようである。集落へ入ってすぐ右手に池があり、炭焼立場の説明板が建てゝある。

Ⅵ-48 炭焼立場跡付近

 家が三、四軒並んでいる一〇〇m足らずの間は道が平坦で、西へ向かって大きく展望が開けている。道下から斜めに畑が続く。
 東に山を背負い、道は北へと伸びる。
 集落を通り過ぎると道は再び山の中へ入る。この辺りは湿地で、道にも水がしみ出ていて履物の中へもしみこんでくる。草の丈が高くなり、道が急坂になると石が敷いてある。幅の狭いこの坂を樫の木坂という。
 樫の木坂の途中に権現山一里塚が左右一対完全な形で残っている。江戸より九〇里、京より四四里の所にあり、十三峠開設の慶長年間に作られたものである。現在、県史跡(昭和三一年指定)となっている。坂は著しい湿地の上に、大雨の時には道が川になって水が流れ、それが度重なるうちに道の中央が凹地となってしまったのである。道は徐々に山の中へ向きをかえ、上り坂が続く。道は両側から木の枝で覆われ、うす暗い道である。やがて、道の右手に「順礼水」という清水の湧き出た水飲場がある。

Ⅵ-49 権現山一里塚跡(左)


Ⅵ-50 権現山一里塚跡(右)

 
 <壬戌紀行>
  一里塚をすぎ、橿の木坂を下りて 俗に炭焼の五郎坂といふを下れば 炭焼の立場あり
  左に近く見ゆる山は権現山なり しばし立場に輿たてゝいこふ 岨をつたいて細く流るゝ水に櫻の花のちりかゝる
 <中山道筋道之記>
 炭焼 右同断家数四軒有
   大井宿端ゟ此所迄二り十三丁
 くらふ手坂 右同断大井ゟ下り坂二丁程
   大井宿端ゟ此所迄二り十四丁
 土橋 [長八尺巾八尺]
 橿楷木坂中程ニ有ル 此所[釜戸村大湫村]境
 かしの木坂 大湫村之内大井ゟ登り坂六丁程
 一里塚 大湫村地内
   大井宿端ゟ此所迄二り十五丁五十三間