中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第五章 林業

第二節 山論

一 山論

「当村惣山」と呼ばれた村の共同の山は農民にとって、
 「右山内にて秣(まぐさ) その外木草等 伐苅仕候 百姓相続仕来申候」(天保五年千旦林と茄子川山論始末書-(幸脇家文書)-)
 「木草ならびに 馬草などや薪など 苅来候」(享保一五年阿木村と東野村の山論-(青野・鷹見家文書)-)
 とあるように、田の肥料、馬草、薪などを確保する場所として、つまり農業生産と生活維持の上で、きわめて重要なものであった。
 この惣山の所属(山境争い)や、利用の優先などをめぐって、村と村、または村内のある集落(組、町内)とある集落が争うことは「山論(さんろん)出来候(できそうろう)」、「山出入(やまでいり)出来候」などと、文書に書き残されているが、これらを一般的に山論と呼ばれている。