中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第五章 林業

第一節 林政と林業経営

七 巣鷹山

巣山ともいわれて、狩猟用の鷹を捕獲するために、山林のよく茂り、従前から鷹がよく巣をいとなんだか、あるいは営むに適した森林を指定して、人々の立入りを禁止し、厳重に保護を加えた山である。
 巣山の制は、いつ頃から始ったかはっきりしないが、普及をみるのは江戸期にはいってからであり、いずれの領内にもこの制はしかれていた。湯舟沢村を含む木曽の巣山については、山村氏が木曽を支配するようになって、家康は山村氏に木曽の巣鷹と木曽馬の何れかを与えようとしたら、山村氏は馬を望んだとかで、家康は巣鷹を献上する様に命じたという挿話が伝っている。これらのことからも考えて、江戸の初期頃から巣山の制のあったことが推察できる。
 中津川に巣山が何か所位設けられていたかについては不明で、記録的にはっきりしているのは湯舟沢村である。湯舟沢村は別表のように四か所に巣山があり、巣山では、木は一切伐採することができなかった。しかし、巣山であっても、伊勢神宮の神材の折には、伐採が行われた事がうかがわれる。また、この巣山の指定、その後の変遷等については、はっきりしない。

Ⅴ-21 湯舟沢村の巣山(延享二年書上げ写より)

 湯舟沢村以外では、落合村にあったことが記録に残っている。その巣山は、通称梵天山といわれているところである。新茶屋にあって、山林面積は一〇四町一四畝一六歩であり、その監視保護のための役所は、大久手、伊雑神社付近にあり伐採と鷹の巣の保護にあたった。日比野村には「新撰美濃志」の中に城下の北にありて鷂を産すとある。