中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第五章 林業

第一節 林政と林業経営

五 利用

割山は、山割・割替山ともいわれている。配分対象は、主に採草地であったり、村持の入会林野のうち比較的採取の便利な柴草山や、薪炭材の採取地に対して行われるのが一般的であった。従って入会権者調書に、共用林野を配分して各戸の持分を決め、これを一定期間それぞれに占有することを認め、年限に達すると割替えを行っていくものである。
 いずれの領内にも、割山は行われたと考えられるが、岩村領広岡新田についてみることにする。何時頃からこの割山の方法がとられて来たかははっきりしない。文政二年(一八一九)阿木村内広岡新田の割山帳をみると、「籾田八拾苅・畑三拾荷、田畑〆百弐拾五束 此坪九百二拾八坪」とあるように、各戸の田畑の持高に比例して割付ける方法によっていることがわかる。そして、一束については七・五坪となっている。また天保三年(一八三二)の同村広岡の「割山帳」によると、配分方法が「一高八石弐斗八升七合九夕弐才 此坪八百弐拾八坪八分 一田畑苅九百弐拾五束 此坪弐千三百拾弐坪五分 一居屋敷此坪六拾三坪 〆三千百七拾八坪」とあるように、石高・田畑の面積、家敷等に応じた配分であることがわかるし、それだけの坪数は一か所ではなく、八か所一三に分割しもらい受けていた。
 弘化四年(一八四七)広岡新田の「田畑割山調書」では、石高・田畑屋敷の面積に比例する割付けと、さらに各戸数に均分する門割五拾坪を加える二本建によるようになっている。