中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第五章 林業

第一節 林政と林業経営

五 利用

家屋を新築・改築する場合には家屋用材が必要となるが、その家屋用材をどこからどのようにして切り出したか、それぞれの領内により多少のちがいはあるが、一般的には明き山や、里山において伐出していたと考えられる。しかも伐採するときは、庄屋から奉行所宛に願書を出し許可を受けなければならなかった。
 湯舟沢村の文政六年(一八二三)一一月の家作木の願書をみると、
 
       乍恐奉願上口上覚
 一 板屋根居宅壱軒 [間口四間半裏行六間] 豊三郎
 右ハ豊三郎扣用地之内ニ御座候処 不用ニて取崩置候ニ付 此度御願申上取建仕家内宇兵衛別家為致度奉存候間 何卒崩家元建御免仰付被下置候様奉願上候
        右家作木覚
 一 松木 拾本   元口壱尺八寸程
 一 松木 拾壱本  元口壱尺二寸程
 一 栗木 弐拾三本 元口 七寸程
 一 松木 四本   元口壱尺程
    〆 四拾八本
       但当村豊三郎御預り林ニて元伐奉願上候
 右家居取建申度 勿論間数 屋根等ハ先振リ之通家作木ハ取崩置候古道具相用ひ不足之分栗松ニて元伐被為仰付普請御免被下置候様奉願上候 勿論御停止木の木品堅相用申間敷候
 右奉願上候通リ被為仰付被下置候ハヽ難有仕合御座候
   文政七年申十一月
                            庄 屋
                            組 頭
    御奉行所                    (島崎家文書)
 
 となっており、家屋用材として許可される木種は、松、栗で停止木は当然でその対象ではなかった。その伐出場所については「預り林」で行われ、それ以外のところでは認められなかったと考えられる。

Ⅴ-16 家屋材木伐採願   島田家文書


Ⅴ-17 家屋建直しにみる家屋規模と家作木

 寺社の造作木については、天保二年(一八三一)湯舟沢村天徳寺の柱根がいたみ補修。文政四年(一八二一)同社細野の薬師堂再建が行われているので、その折の記録をみると、農家と同じ様に必要用材・木数を書き上げ願書を出し許可を受ける。形式は全く同じでしかし木種については、天徳寺では松・栗・樫・樅であり、薬師堂では槻の申請をしており、いずれも預り林にてその伐採を願い出ている。特に薬師堂においては以前に檜で普請がしてあったので、檜一本を願い出たが、檜は大変むつかしいので、槻に変更したとしている。「先年檜ニテ普請仕来り 檜壱本願候処 先年ト違い御材木御立会御見座候 至て六ヶ敷檜差置 槻弐本願候…」たとえ寺社といえども停止木については、その使用は禁止されていたことがわかる。
 阿木村広岡新田では、阿木村山で材木本切本数を書き上げ願い受けるが、自分の林でお断りの上伐採して使い、竹は持分の藪で伐り使うように決められていた(広岡新田差出帳)。