中津川市/古文献アーカイブ

中津川市史 中巻Ⅱ

第五編 近世(二) -関ヶ原戦から明治維新まで-

第五章 林業

第一節 林政と林業経営

三 領主の林政と林業政策

前述した岩村領の「国産存意書」でみるように植林植栽の技術については、この付近では一歩進んだものがあったと考えられる。苗木領の桐・漆の植栽については、多分に岩村領の後藤甚吉の指導・援助によることが「桐・漆仕法幷植附方書上」によってわかる。これは安政二年(一八五五)桐・漆の植栽方法と、その経験・実益等を詳細に記し苗木役所へ上書したものである。
 これによると、七月二一日岩村領の後藤甚吉を訪れ、教えを受けたことを記している。
一 桐・漆苗を金五両分買い上げたいと、取引した。
一 並松の土を持参し、見せたらよい土であるとのことであった。
 後藤氏に入来を要請したが、当時は止むを得ず、他へ出ることが出来ないとの事であった。しかし、手づるがあれば、また参上し、相談にのろうということであった。桐・漆種は調べられ取引した。但し蒔付けのことは、桐は春蒔込み、品によっては冬蒔いてもよい。漆は冬蒔つけること。並松の野ばくの内を秋より冬迄に掘り起し、春になったら桐・漆植付けることがよいときいた。並松掟畑の内へ今度買い入の漆蒔付分はトグラ体にしつらえること。桐苗は御所平体の所に蒔込むのがよいと聞いた。但し梛御屋敷・山中その外御用地空地植付けの事、追々植付けていくのがよい等、このように聞いて来た。
 この事について、次の様に御用所・御勝手衆・郡奉行御元方・御目付方へくわしく報告している。
 並松の土地は随分よい。しかし、先三尺程深く掘って底が赤土なれば上々、地さばなら悪い。まず並松掟畑へ苗場をつくること、但し漆木や肥料は、馬肥・小便・油かす・糠でも多めにして掛けることである。一〇月山入手頃に蒔付、なるべく薬肥をふたにして置くこと。桐苗は御所前へ蒔付ること右地所これより取掛け下刈して焼払い、九月中旬頃より桐・漆共に植付ること。桐植えは、三尺廻り、地面掘りわけ植え、漆はそのようにしなくても少々掘り植えてよろしい。肥しは、焼跡の事ゆえ別段入れなくてもよい。漆実は越前より取寄せた上物で、一升に代料五匁、直に畑へ蒔込みしてもよいし、勿論当地にては、布合の実は、池水へ入れずにまいてよい。しかし、上の実は水に入れれば沈み、悪いのは浮くことである。
 他にこの記録の中には、桐・漆仕法・苗代・人足数及雇賃・植付蒔込の季節・仕方・見分所・極口伝等調査、聞取の記録である。苗木領遠山家が、植栽には相当力を入れていたことがうかがわれる。
 尾張領でも漆の植林については奨励し、そのはじめた時期も早く享保九年頃と考えられているが、湯舟沢村についてはその状況を知る記録がなくてわからない。