NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

7.教育、人物・伝記

■岐蘇林友 廿周年記念號(第百四十四號) [翻刻・ルビ・注記] 

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          テ イ 生
Y君其後は御無沙汰でした。大した仕事とてないけれ共どういふものか筆を取る気にはなれなかった、然し其の間実に無限の感なき能はずだ。
俺達はお互に生れて来た甲斐(かい:価値、はりあい)のあるライフが送りたいではないか、どうもお互の生活には無駄が多くて困ったものだ。
Y君相変らずお盛で結構だね、緊張した精力主義の君の働き振りには何時(いつ)もながら羨(うらや)まずには居られない。
俺達親のすねをかぢって居るもの、君から卑怯(ひきょう)呼ばりをされるとは、さてもさても末法の世なる哉だ。併(しか)し君、俺達だって皆が皆そんなに遊んでばかり居りやしないよ、異なった立場から眺めるとそんなに詰らなく見えるか知らん、立場が異ると言って一も二もなくコナシ附けると云ふ事はチト酷ではなかろうか。自分としては君の言ふ所になるべく尊重して決して全部は斥(しりぞ)けて居ない積りだ。君の何時も口にする社会組織の不完全、それも自分とても認めて居る。罪悪は其の社会組織の不完全より来ると云ふ、それもまあ宜い。それから人の自覚によりて社会的生活が定まるのでなくて、社会的生活によりて自覚が定まるのだ、斯う君は常に言ふて居るが、それは理の一端であって其の全部ではないのでなかろうか?
個人と社会、斯うした大きな問題は到底俺達の思ひを巡らする事は出来ない。
おゝ知らず知らず軌を逸してしまった。
「生れて甲斐のあるライフ」そうだ之が今俺達が一番考ふべき問
 
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題だ。今の世の人々は物質文明の弊に中毒して居る、現代の欠陥は此処である、此の欠点ある世を完全なるものに仕上げ様じやないかY君、其処に俺達の使命があり、それが俺達の生命じゃあるまいか。
もうそろそろ木曽も紅葉で奇麗になる、一度遊びに来たまへ失敬。