NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

7.教育、人物・伝記

■岐蘇林友 第十九號 [翻刻・ルビ・注記] 

(注1)江波多(えばた):江畑猷之允(ゆうのじょう)第二代校長。すでに《解説》で紹介したとおり、卒業生まで巻き込んだ校友会の刷新更張を提唱し、自らそのリーダーとして力強く推し進めた。
(注2)本編は……翻訳せし者:1908年ヨセフピステル氏の記事を翻訳したとあるが、この『岐蘇林友』19号は1911年5月に発行されているので、訳者の江畑は最新記事を翻訳して生徒たちに紹介したことになる。意欲的な教育実践である。
(注3)捺染(なっせん):染色法の一つ。型紙を当て染料をなすって布地に模様を染め出すもの。おし染め。プリント。ここでは木材に圧力をかけ染め付ける意。
(注4)赤楊(セキヨウ):かわやなぎ。あかやなぎ。
(注5)漸(ぜん)を追ふ:少しずつ。だんだんと。
 
(注6)小松吉次郎:教諭。奈良県出身。明治40年(1907)から同45年7月まで5年3カ月在任。
(注7)9町9分:1町歩は約99.2アール。1分(ぶ)はその10分の1で1反歩、即ち約9.92アール(約992平方メートル)。
(注8)保育:植栽を終了してから伐採するまでの間に、樹木の生育を助け健全な森林を造成するために行う下刈り、つる切り、除伐、間伐などの作業の総称。(『森林林業・木材辞典』)
(注9)総(す)ぶる:全体をまとめて治める。
(注10)林区署官制:明治30年(1897)林区署官制が公布された。青森・秋田・長野・東京・広島・鹿児島など全国に16の大林区署と、300の小林区署、137の保護区が設けられた。
 
(注11)遺等:「遺漏等」の誤りか。遺漏(いろう)は物事の取り扱いなどに、手落ちや漏れがあること。
(注12)挨塞烏爾顛山:ドイツ国内の地名。埃塞はヘッセンであるが、烏爾顛山がどこを指すか不明。
(注13)巴丁(バーデン):Baden。バーデン連邦(ドイツ南西部、現在のバーデン=ヴュルテンベルク州に存在した連邦)のこと。
(注14)普魯西(プロシア):Prussia。プロイセンの英語名。ドイツ北東部の地方。ドイツ帝国創立の核心をなした。
(注15)巴威里(ババリア):Bavaria。20世紀の初めまで存在したドイツのバイエルン王国。現在のバイエルン州。
 
(注16)3厘5毛:1厘は1銭の10分の1、1円の1,000 分の1。1毛は1厘の10分の1、1銭の100分の1。
(注17)尺〆(しゃくじめ):木材の体積の単位。1尺角(方1尺)2間の体積、すなわち12立方尺の体積。1尺は約30.3㎝。
(注18)法正林(ほうせいりん):各樹齢の立木を同面積ずつまたは同材積ずつ含み、毎年同量の収穫ができるような理論上の森林。
(注19)南安方面:南安曇郡方面の意。現在の松本市梓川・安曇・奈川、安曇野市方面。
(注20)主魁:首魁(しゅかい)の誤りか。首魁は一団の仲間を統率する人。
 
(注21)喋々(ちょうちょう):しきりにしゃべるさま。多言なさま。
(注22)間伐・枝打等:間伐は、森林の手入れ法の一つ。立木密度を疎にし、残った木の肥大成長を促し、森林全体を健康にするため、林木の一部を伐採すること。すかしぎり。疎伐。枝打は、樹木の枯枝・下枝などを切り落とすこと。主に、節のない材を得るために行う。打ち枝。(注8)保育の項、参照。
(注23)江南竹・苦竹(にがだけ)・淡竹(はちく)の類:江南竹は、孟宗竹の別名。苦竹は、筍の味が苦いからいう。メダケまたはマダケの別称。淡竹は、中国原産の竹の一種。日本各地で栽培。高さ10メートルになる。桿は淡緑色で白蝋粉に覆われ、節は二輪状。竹の皮は紫色。筍は食用、材は硬靱・緻密で諸器具を作る。クレタケ。カラタケ。
(注24)返掻:辺掻(へんがき)の誤りか。辺掻は、6~9月頃漆の木に傷をつけて漆を採集すること。
(注25)返漆:辺漆の誤りか。辺掻で得られた漆を辺漆という。
 
(注26)根曲竹の筍:秋田地方だけでなく、長野県北部から新潟県上越にかけても採集、食材として使われている。
(注27)紙料(しりょう):パルプなどを調合・溶解した、紙にすく直前の材料。
(注28)抄紙機(しょうしき):連続的に調合された紙料を抄(す)いて紙を製造する機械。
(注29)呎(フィート):1フィートは約0.3メートル。
(注30)混淆林:2種以上の樹種から成る森林。混合林。⇔単純林
 
(注31)英領コロンビア州:現在、カナダの州の一つ。太平洋に面し、同国最西部の州。
(注32)16吋(インチ):1インチは1フィートの12分の1。約2.5センチメートル。
(注33)伐採台:台は「后(後)」の誤りか。あるいは衍字か。
(注34)層積(そうせき):材形が通直でない枝条のような不整形材の材積を測定する手法の一つで、その方法で算出された材積をいう。主に薪炭材などの材積測定に用いられる。層積の測り方の一つに、4本の木柱を立て、中に一定の木材を空間を少なくするように並べ、平均高と材長、柱間距離を乗じて求積する方法がある。(『森林林業・木材辞典』)
(注35)3,600封度(ポンド):1ポンドは約0.45キログラム。
 
(注36)鑒孔機:鑒は「鑽(さん)」の誤まりか。「鑽孔(さんこう)」は打ちぬいて穴をあけること。
(注37)挿材函(そうざいかん):材料を差し込み入れるはこ。
(注38)叩解(こうかい):製紙の際、原料であるパルプを水中で機械的に処理して、その繊維を切断・分岐させること。
(注39)該術(がいじゅつ):「該」は問題になっている事物を指していう語。その。この。「該術」は、そのやり方・方法の意。
(注40)文苑(ぶんえん):文学者の世界。文壇。ここでは文芸欄というような意味。
 
(注41)西野入徳:明治40年3月・第4回卒業の卒業生の文章である。彼は卒業後、御料局木曽支庁へ勤務していた。しかしその後米国へ渡りワシントン大学で学び、『岐蘇林友』誌にも「民族の興亡と其原理」(152号)などの寄稿がある。
(注42)インチャント:enchant。魅了する。喜ばせる。
(注43)道学者:道徳にかかわって世事に暗い学者、道理に偏して融通のきかない頑固な学者をあざけっていう語。道学先生。
(注44)潺々(せんせん):浅い水がよどみなく流れるさま。また、その音。
(注45)撲吶:朴訥(ぼくとつ)の誤りか。朴訥は、質朴で無口なこと。無骨で飾りけのないこと。
 
(注46)仁少き好言と令色:『論語』に「巧言令色鮮(こうげんれいしょくすくな)し仁」とある。口先がうまく、顔色をやわらげて人を喜ばせ、こびへつらうこと。仁の心に欠けることとされる。
(注47)記乃志多:3年生の木下稗蔵(武右衛門)。岐阜県出身。このとき研究雑誌部長を務めている。
(注48)賤(しず):身分が低い者。ここでは、「田舎の、山里の」くらいの意味。
(注49)山桜朝日にあらねど~香しく:本居宣長の「敷島の大和心を人問はば朝日ににほふ山桜花」の古歌を踏まえたもの。
(注50)土人(どじん):未開の土着人。軽蔑の意を含んで使われた。
 
(注51)候(そうろう):ます。ございます。文語文で書かれた手紙文の文末などに多く用いられた。
(注52)自重(じちょう):自分の身体を大切にし、健康を損なわないようにすること。
(注53)伊藤門次:兵庫県出身。明治40年(1907)7月農科大学卒業、同41年12月から44年4月まで木曾山林学校在任。同5月ドイツの名門ターラント高等山林学校(現、ドレスデン大学)に2年余留学。帰朝後は同校へ戻ることなく、盛岡高等農林学校に招聘された。しかし在任中は、ドイツ関係の原書を翻訳して『校友会報』や『岐蘇林友』に発表するなど、大きな影響を生徒たちに与えた。(同校100周年記念誌『山霊生英傑』2001年10月)
(注54)西澤教諭:長野県出身。明治42年(1908)5月から同44年5月まで2年ほど在任。原書翻訳など意欲的な教育実践をした。また大正3年10月、再び同校の教壇に立ち、造林・砂防・法制・経済などの教科を担当した。
(注55)鎮守府(ちんじゅふ):明治以後、各海軍区の警備・防御・所管の出征準備に関することをつかさどり、所属部隊を指揮監督した海軍の機関。横須賀・呉・佐世保・舞鶴の各軍港に置かれていた。
 
(注56)農科大学:東京帝国大学農科大学のこと。現在の東京大学農学部。初代松田校長、2代江畑校長など歴代校長をはじめ、何人かの教諭は農科大学林学科の卒業生であった。
(注57)砲兵工廠(ほうへいこうしょう):陸軍造兵廠の旧称。陸軍の兵器・弾薬・器具・材料などを製造・修理した所。
(注58)大滝吉野の森林:明治36年(1903)4月26日から5月12日まで、初めての3年生は関西方面への大旅行を実施した。その中で、吉野では川上村大滝に土倉庄三郎を訪ね、その森林を視察している。以来大滝は重要な訪問先の一つになっていた。
(注59)奈留瀬:「奈留瀬」は、成瀬義郎2年生である。
(注60)黒川の清流~駒ヶ岳:黒川は演習林の真下を流れる木曽川の支流。駒ヶ岳は木曽駒ヶ岳のこと。海抜2,956メートル。中央アルプスで最も高い山。
 
(注61)丸めんぱ:「めんぱ」は、木製の曲げ物の弁当箱。山仕事をする人が愛用した。
(注62)新校舎:新校舎は大正元年(1912)10月竣功、移転した。場所は裏山演習林の北側、黒川を挟んだ隣接地。
(注63)顎(あご)が上がったり:顎が干上(ひあ)がること。生計の道を失って食えなくなること。