NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

7.教育、人物・伝記

■木曾山林学校々友會報 第一號 [翻刻・ルビ・注記] 

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今茲(きんじ:今年)明治34年6月22日午後1時、森林視察の為め第1学年生34名、校長松田林学士以下職員諸氏に引率せられて郡下駒ヶ根村(こまがねむら:現・上松町)小川御料林に向て出発せり。昨夜迄降り続いた雨も漸(ようや)く晴れ涼風はそよそよと吹いて肌を払ひ、其の心持ちの善い事は何とも言はれない程であつた。行くこと里余にして桟(かけはし:上松町)の名所に休憩したが、此の処(ところ)は鬱蒼たる御料林が左の側に繁茂し、右方脚下には木曽川が奇石怪巌の間を奔流して居る。瞰(み)下ろせば先日来の降雨の為めに濁水が滔々と流れて居るが、先に見し王滝川は藍を凝らせる清水を流して居た。考ふるに之れは畢竟(畢竟:要するに)水源地の森林が荒廃して居ると繁茂して居るとに依(よ)て、此の様な結果が現はれたのであらふと思ふ。之れに付けても我々斯道(しどう:この分野・方面)に志すものは深く留意せなければならん点であると思ひ、暫(しばら)く休憩して上松駅へ達せしは午後の6時であつた。此処で1泊して翌23日午前5時、同地を出発して上松出張所の苗圃(びょうほ)取締蜂須賀忠四郎氏に先導せられて小川伐木所へ向ふた。そして道々土質・樹木の名称及び其の識別法、林相等に付て質問応答をなし、紆余曲折して或は上り或は下りして段々進んで行きたが、此の地一般花崗岩から成る壌土で、一帯の森林であつた林木は多くは針葉樹で古代の天然林の様に見へた。漸(ようや)くの事で高倉峠と云ふ峠へ行き着た。此処は上松駅を離れる事2里許(ばか)り、東方に駒ヶ岳が屹立(きつりつ:高くそびえること)し、北方には御岳山が聳(そび)え共に多くの積雪を戴いて居り、東北
 
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は民林で真黒になつて居る所もあれば禿た山もあつて、誉(ほ)めたくても余り誉る事の出来ぬ林相であつた。夫(そ)れより尚(なお)西北へ進むこと12、3町、此処(ここ)こそ小川の御料林で喬木蓊鬱(きょうぼくおううつ:高木が深く生い茂っている)として実に立派な森林であつた。先づ御料局上松出張所の小川伐木事務所に着いたのが、丁度午前8時50分であつた。茲(ここ)に休憩して居る内に、左の事項を松田校長より談された。
駒ヶ根村大字小川御料林、反別(たんべつ:土地の面積)凡(およそ)28,000町歩であつて数多の小字に分れて居る。此事務所の在る所は中根沢と云ふて、伐木事務を始めたのは明治9年(1876)と10年で、同13年には皇居御造営の御用材を姫宮で伐木した。其の時に伏見宮貞愛親王(ふしみのみやさだなるしんのう)殿下が時の山林局長心得品川弥二郎氏(注21)を随へて此の地に御臨み遊ばされた。其の後28年より34年に至る迄、毎年此処で伐木事業を続けて居る。そこで其の伐木地の面積及び其の材数を表にして掲げると次の様である。
(注 「伐木地の面積及び其の材数」の表は原本ビューワ16コマを参照)
備考 右材木中は主として木曽の五木なれ共、稀には朴(ホオ)あり。本年度に伐木する樹種は扁柏(ヒノキ)、金松(コウヤマキ)、羅漢柏(アスナロ)、花柏(サワラ)、〓(ネズコ)、五葉松、姫小松、朴、たらの木の9種である。
  一、33年度を2行に掲げたのは伐木した所がうるい沢・中根沢の2ヶ所であったからである。
 
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  一、31、32の両年度及び33年度の初め材積数少かつたのは、尾張藩で当時選伐(せんばつ:注22)を施した箇所の残木の伐採をなしたからであると。
夫(そ)れから太田所長、北川技手補の先導で伐木運材の実況を観察しようと、事務所を出でゝ登ること5、6町の処(ところ)より、扁柏(ヒノキ)・羅漢柏(ヒバ)・花柏(サワラ)の皮を剥(は)いだ丸太材が見霞(かす)む程迄に散在して居(お)つた。尤も其の内に剥皮(はくひ)期節試験の為め、皮を剥がないであるものも間々見えた。そして最高齢約400年、周囲4、5尺より7、8尺もあり、長さ2間乃至(ないし)7、8間位ひ、横断面を丸くし大材には穴を穿(うが)ち、鎹(かすがい)を打ち込みてあるものが多くあつた。之れは河水によりて運材する際、破損を防ぐ為めであるとのことであつた。又太田所長の説明によれば円材尺〆(しゃくじめ)7、8円で、廻り5尺1寸、長さ5間1本で名古屋着の価格が350円だと云ったには驚いた。又々上り行くと小枝で拵(こし)らへた、巾が7、8尺の畳みの目の様なものがあつたから、之れは我々山林学校の生徒に作りて呉(く)れたものだと思ふて歩んで行つた処が、上の方へ行つて見ると今迄我々の道と思ふて居た処へ材木を滑らして下して居つたから、之れは何だと聞いて見ると、之れはさでの一種丹波さでと云ふもので木材を運搬する道路であると云はれた。夫(そ)れから又材木運搬の法に付て3、4の説明をして貰ふた。
第一、さでには3種あつて茲にあるのはたんばさでと云ふ。其3種と云ふのは今のたんばさで又一名普通のさでとも云ふものと、のらさで、もつこさでとである。普通のさでにあつては其の基礎は枝を以(もっ)て編んだ板を載せる。そうして之れを編むにはそよご(注23)、扁柏(ヒノキ)の枝条(しじょう:えだ)、竹などを使ふが、其の中でもそよごが一番よい。併(しか)しながら此の枝は編たる後に載せるのでなく、其の一端から他の端に編みつゝ載せるのである。其の編む為めに挿(はさ)む横木を筬(おさ)と云ふ。のらさでは前の編板の代りにのら板を使ふので、之れは特にのら板の辷(すべり)落させる為めにのらかせるのが大事です。もつこさでは其の基礎の上に枝条か何かを重ねその上に砂を置たもので最も急な傾斜の場所に作るものてす。此等(これら)のさでは甚た便利なもので一谷の中に運材線路を交叉(こうさ)したり又並行せる事が出来る。即ち一運材線路に使ふさでの上に他の一方の運
 
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材線路より、尚(なお)一のさでを架ける事が出来る様である。之れを両みとと云ふ。此(この)みとは総て木材の経路の名である。
第二、臼は材木の滑つて来る時、其の向きを変へて其の速度を減らす仕組である。此の臼は岨(そ:山の切り立った険しいところ)に構(かま)ふるもので、立柱を定め腕を結び二方を雑木末木等の割木で囲ひ、之れに土砂樹皮等を容れ上部から来る材木を受けさせる。そうして別に根株或は杭に由(よっ)て釣た摩棒(すりぼう)を備へてある。摩棒は枕木の上に横に成て或る勾配を作り、他の端は固定し無(ない)から臼に落して来た木材の一部が此の摩棒の為(た)めに横の滑りさでから滑つて来た先と尾とを転じて又落るものである。
第三、せぎは本小谷と小谷にて水を堰(せ)ぎて材木を流すもので、水を湛(たた)へる為めに其材木と材木との間に蘚苔・柴草・堰柴・落葉・土砂等て填(うず)めるのである。せぎにはぼさせぎ、本せぎの2種あつて雑木で作たものをぼさ堰と云ひ、木材で作たものを本堰と云ふ。併(しか)し其名は違ふけれども其の編み立て方は皆同一で、只(ただ)形の小と大とで小谷に使ふと本小谷に用ふとの違ひがあり、又ぼさ堰、本堰の名が違ふばかりであると。
右の話を聞てから下りて来て事務所へ来た。夫(そ)れから一と休みして其の所に陳列してあつた種々の道具の説明を聞た。投縄(川の両岸に縄を張て置て木材を向側へ送るもの)。測樹縄(木目通りの周囲を測るもの)。海老鐶(木材を運ぶとき材に打ち込んで輪に縄を付けて運ぶもの)。普鐶(使ひ途が前のと同じであるけれども材に打ち込む所が1ヶ所であるから前の者に比べると不便である)。鎹(かすがい)(木材の割れるのを防ぐ為めに材の一端に打つもの)。目割(鋸の目を開閉するもの)。挟尺度(立木を挟み其の直径を計るもの)。継棹縄(材木運搬の節、危険の場所へ材がかゝつて一本の棹(さお)ではとゞかぬ時、他の棹を継ぐもの)。本切斧(斧の身が薄く刄が鋭く立ち木の本を切るに都合のよいように作つてあるもの)。目戸斧(円材の本の方に四角の穴を付くるに用ふもの)。節切斧(斧の身が厚く手丈夫に作てあつて枝を切るもの)。唐鍬(とうぐわ)(普通の鍬と同じ)。櫃鍬(はこぐわ:砂を堀るもの)。鋤鏈(じょれん:日常工夫などの使つて居るものと同じ)。鉄探棒(鉄で製したもので盗人が材木を盗み地中に材木を埋めてある時探るもの)。呼続ぎ旗章(赤と白と二種あ
 
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って赤は木材を運ぶを止めさせるもので、白は木材を運ぶを始めるもの)。極印(ごくいん)(鉄製でありまして墨を付けて材を打ち印を付けるもの)。水脊負桶(水を入れてさでのある処へ負ひ行き、さでに水をかけ材を滑らかすもの)。箕具(みぐ:運材するに方(あた)り水を溜める時砂を運ぶもの)。鶴嘴(つるはし)(土を堀るもので日常工夫の使ふものと同じ)。ポンプ(さでに水をかけるもの)。加繰鳶(てこの代りに用ひるもの)。鉄てこ(色々の場合に力を省くもの)などの話しを聞いて、2時10分此処を出発して東方へ5、6町来た処にうるい沢の苗圃(びょうほ)があつて茲(ここ)を見た。同所出張員の斉藤と云ふ人が、実地に付て苗圃の成立及苗木に付て大要を口演された。
当苗圃は32年始めて開墾し、夫(そ)れから34年の春迄に漸(ようや)く其業を了(お)へた。そうして総反別9畝歩、南西に傾いて花崗石と赤褐色の砂壌土から成つて居た。苗木の総数18万本で悉(ことごと)く扁柏の3年生であつたが、此の苗木は名古屋地方から買ひ求めたもので、此の様に成蹟の不良なのは苗の密植してあつたによつて細長い事と、地質の不良な事と苗木の悪いのとで枯れたものが甚だ多い。そして当苗圃は明年になつてから昨年伐木した跡地へ移植造林すると云はれた。夫れから森林内を横ぎつて高倉峠の頂きに達した時に、雨が降り出して来たに由(より)て大急ぎで上松駅迄馳せ付けた。時に午後5時、雨は既に止んだから今日の愉快話しに心を寄せて知らずしらず桟(かけはし)迄来た。此所から4列になつて軍歌を唱ひながら勇気勃々(ぼつぼつ:勢いよく出るさま)として帰校した。時に午後6時半であつた。