NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

7.教育、人物・伝記

■木曾山林学校々友會報 第一號 [翻刻・ルビ・注記] 

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          通常会員  坪 倉 藤 三 郎
諸君、私は殖林の急務と云ふ題目に就て本会報の余白を借りて一言述べやうと思ひます。元来私は昨年4月本校が開校せられしと同時に入学しまして、今日まで林業上の学理と実習とを修得した事柄に就
 
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て、私の意見を述べたいのであります。凡(およ)そ林業の発達進歩と云ふ事は何の事であるかと云ふに、実に其範囲は広い事であるが、唯(ただ)一と口に申せば悪い木が生へて居る所に成るべく徳用の木を植えて往くと云ふ事である。其徳用の木とは如何(いか)なる木かと云ふに、材質が極上等であるか、又は余り上等でなくとも需用が広くて家屋・造船・其外総ての道具に使用されるとか、或は造林するに容易(たやす)くて成長が早いとか云ふ様なものであります。尤(もっと)も価値ある木と申せば、杉・桧など。私は今より7、8年前に吉野の扁柏(ヒノキ)、杉の人造林を見て居ましたが、今日此木曽の天然林扁柏・花柏(サワラ)などの美林を見て、日本第一の有名なる大森林と云ふ事を始めて知つたのである。然(しか)るに維新以来我国の森林が至る所荒廃して、直接間接種々の惨状を現はし来つて、木材薪炭の需用を満足せしむる事が出来ない様になつたのである。此れと云ふのは即ち林業経営上主(お)もに生存保続と云ふ道を誤つて、林木は一に天然物として置いて濫伐許(ばか)り行つて、少しも殖林と云ふことを行はないからである。処(ところ)が近来になつて世間の人が漸(ようや)く其必要なる事に目を覚まし、進んで殖林するものがある様になりましたけれども、まだまだ世間の人は林木を殖えて何百年の後でなければ金になるか分らない様な気の長い話よりか、商業若(も)しくは工業を営んで沢山の金が早く儲かる方が宜いとか、又は左様に年々沢山の木を植へ付けたなれば百年の後には杉・扁柏は薪にもならず、今の雑木よりはまだ用に立たない様になつて大に損の行く話であるとか云ふて、林業などに付ては更に無頓着のものが多い。成程(なるほど)其通り金に代へるには商業・農業よりも気の長い話である。又甚だしきに至つては百年の大計とか、子孫の長計とか言ふて永遠の利益を取るが為めに、多くの資本と労力とをかけて育て上げた林木が折角十分成長していざ売ると云ふ場合になつて、木材は地球上に於て少しも需要がないと云ふ様な不運に遇ふ事があつた時には困る、と今より疑を抱いて居る人が世間にある。又自分一代の用にも立ない、将来の需要も如何(いか)になるかと確めない殖林の如(ごと)きは、先づまづ御免を蒙ると云ふものがないにも限らない。併(しか)しながら以上の如き色々の説を能(よ)く考へて御覧なさい。商工業で早く金を取り
 
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たいと思ふても、其材料となる木材が沢山なければ到底金も早く儲かるまい。思ふに林業も農業も殆んど大きな違はあるまい。何となれば本年畑に種を蒔いて、来年又は2、3年には直ぐに苗木を売ても利を付けて買つて呉(く)れる。又3、4年目に山に植付ければ年々利が付て、夫(そ)れ丈(だ)けの価値が山に出来るでありましよう。
是(こ)れ森林は直接に木材薪炭を産出するの用あるばかりではなく、間接に気候を調和し水源を涵養するなど実に重大のものであります。之れを今日の時勢に徴(ちょう:判断の根拠を求める)しまするに、農業は益々(ますます)林地を蚕食し、又商業の発達と共に年々木材の消費額を高めるに由(よ)つて見ても森林は年を遂ふて少くなる様になり、又一方に於て日本人口は如何(いか)にと云へば、10年程前には3,000余万の同胞と申して居(お)りましたが、其後4,000万人となり、今日では4,500万人と云ふ様になりました。我が日本人は至つて子孫を繁殖する力が強くて毎年50万人内外の人口を増加しつゝあるのである。斯(か)くの如(ごと)く人口が増加すれば、其増した人口の生活上に必要なる衣食住に関する需要が増して、直接には用材・薪炭材を費す事が沢山になります。又他の方面に於ては世の文明の進むに連れて鉄道の枕木、電信電話の柱、船艦、橋梁、堤防、治水などの用材、其外諸(もろもろ)の工業に用ゆる木材・燃料が増加して来るのである。今之れ等の凡(すべ)ての需用高を概算して見れば、少くとも年々1億6,000万尺〆(しゃくじめ:注17)の木材を使はなければならぬ。そこで此材積を造り出すには毎年50万町歩の森林を悉(ことごと)く伐らねばならない。若し之れを無限に継続して断絶する事のないやうにするには、少くとも1,200万町歩の森林を合理的に処理して行かねばならぬ訳である。
然(しか)るに翻つて我国森林の現況を見るに総面積は実に2,200万町歩位に過ぎないが、而(し)かも其過半は濫伐の為め無立木地となり、且つ残りの森林を唯々(ただただ)伐採する事にばかり急いで居る。前申述べた通り殖林に注意するものは少なくて、到る所切り株や樹の根が現はれても少しも顧みる者がない。又間接には山野に良き森林があれば気候を適当ならしめて吾人の健康上最も有益のものであります。又森林は雨水の急に流れ出るのを防ぎて土地を安定するに効
 
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が有ります。若しも多量の雨が降た場合に樹木が鬱閉(うっぺい:隣あう樹冠が接して隙間がなくなった状態)せず、潅木雑草もなければ、其雨水は急に流れ出て其表土を洗ひ去つて土砂を流し、之れが為めに下流の河底が埋つて年々河水の汎濫を来たし、之れが為めに蒙る損害と云ふものは実に夥多(おびただ)しいものである。其洪水の際濁水を測り見れば水斗(ばか)りでなく殆(ほと)んど土砂が半分以上交りて、其為め水流を高めるに至ります。例を挙げて申ますれば、僕の郷里に日野川(ひのがわ:鳥取県にある川)、又隣国の出雲の簸川(ひかわ)などは鉱山が多くて森林を濫伐し、加ふるに砂鉄採取の為め土砂を流出して年々河底を埋めて、川は平地よりもずつと高き処(ところ)にある様になりました。殊に甚しいのは彼の有名なる神戸・兵庫間の湊川を覧(み)なさい。河底は平地市内より2、30尺も上にありて堤防を築き立てゝありますが、平常は更に水がありません。然(しか)るに大雨さい降れば忽(たちま)ちに洪水が流出て土砂を流し河底を埋めたのである。年々水害を其近傍に及ぼすものは実に大なるものであります。之れと云ふのも畢竟水源地の山林を濫伐して跡地に少しも殖林と云ふ事をしなかつたからでありましょう。之れに反して当木曽川を御覧なさい。水源は34、5万町歩の良林が鬱蒼(うっそう:こんもり茂るさま)してあるから、河水は何時も清水にて非常の洪水もなく、従つて損害を及ぼす事が少ないのである。其外森林が国土保安上に関係することは沢山ありますけれども茲(ここ)には略しますが、若しも斯の如(ごと)き森林の状態を現今の儘(まま)に放任して更に顧みなければ、今後数十年を出でずして木材の供給は其跡を絶つに至つて、今日の林産物輸出は反つて輪入を仰ぐ様なる訳でありましやう。殊(こと)に我日本の地質や気候と云ふものは樹木の生長に至極適当であつて従つて材質も宜しい。それであるからして我国今日の急務と言ふものは実に森林経営と云ふ事であります。近項林業と云ふ事が追々やかましくなつて、漸(ようや)く山林、農林の学校も出来、諸君と共に林業上の道を学んで国家に対して重大なる責任を尽さんければなりません。全体題目を掲げて述べるには六ケ敷(むつかし)い理屈を申さねばならない様に思はるゝ人があるかも知れないが、僕は茲にはさような理屈は余り云はずして、唯(ただ)之れ迄林学実習に依(よ)る今、僕の実見をかいつまんで申しました次第であります。尚(なお)終りに望んで一言申(もうし)ますが、僕は
 
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こう云ふ話を聞た事があるから序(ついで)ながら御紹介申ましょう。
或る一人の老人がありまして、自分の持て居る山林に木を植へて居る所へ、近所の老人が通りかゝつて此様子を見て大きに笑つて申まするに、御前の年は最早60からであるが如何(いか)に長生きをしても、今植た木が十分大きくなつて御前の用に立つと云ふ事は六(む)つかしかろう。かように死んだ後の事にまで骨を折らなくとも宜しいではないかと申しました。其時樹の苗を植へて居た老人が答へて申すには、私の家の先祖は又御前の様な考へであつたものと見へて、自分所有の山には唯々(ただただ)一つの雪隠(せっちん:便所のこと)小屋を建てるに使ふ程の木もなくて、私は誠に平素其不便に困つたのである。今幼木を植付けるのは子や孫の100年の後の事を計るであるが、自分は反つて御前の為めに子や孫は先祖が木を植付ける事に気を付けないのに困つて八ヶ間敷(やかましく)いふ事があらう、と申た話があります。諸君の宅地の内にも梨や柿の木などがあつて、夫(そ)れから毎年沢山甘い果実を採るのでしようか。之れも矢張り先祖が気を付けて植木をして置いて呉(く)れたに依(より)て、今日其恩沢によるものではありませんか。諸君は皆かように先祖から殖林に熱心なれと言ふことを教へられ居る訳であれば、吾人は尚(なお)子孫の為め亦(また)国家の為めに百年の大計を思はねばなりませんと考へられます。前申す通り決して僕は300年や400年位の後、樹木が不用になるなどの事には心配するに及ばないと思ひます。
  植て見よ 金のなる木を
        沢山に
    四方野(よもや)育たぬ
       里はなからむ