NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

7.教育、人物・伝記

■木曾山林学校要覧 [翻刻・ルビ・注記] 

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現今中等程度の森林教育は如何(いか)なる方法によりて施為(しい:ことを行う)せられつゝあるや、少なくとも教養(きょうよう:教え育てる)の針路は或限度に於て確実ならざるべからず。例へば提灯(ちょうちん)を携へたる行旅の如く其照す所僅かに脚下三尺、惴々(ずいずい:びくびく)歩を運ぶあらんか、教育の効果の見るべき者なく進歩の徴すべきなからん。以下中等程度の森林教育に就き、各国採れる所の方法より我国諸大家の高説を録(しる)すべし。
教育の方法  善良なる森林技術者を得るに二様あり。一は未だ林業に何等の経験なき青年に斯(この)種の知識技能を授けて、新に技術者たらんとする者を養成するの方法にして、他の一は既に林業其他実務に従事し夫々(それぞれ)幾分経験あるものに、更に必要なる智識技能を授くる方法是なり。二者は各国の状態により大に異なり且各々得失あり。独澳(どくおう:ドイツ、オーストリア)諸国にては後者に重きを致し、一定年間実務に従事したる経歴あるを入学の必須条件とせる者多し。且政府は斯種の学校に向つて特に補助金を下付し、或は実習其他の事に種々なる便宜を与へ、極力奨励又は監督の方法を講ぜり。或は政府直轄の学
 
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校あり。而して其効果に関しては後章卒業生の項に述ぶるが如し。
従ひて2、3の学校にありては、修業年限等の関係より入学後の実習は比較的重きをなさざるに反し、学科に就きては適切恰当(こうとう:ちょうどあてはまる)の方法を研究し、有効確実なる教授をなしつゝあり。然れども下級学校即ち我国乙種程度に相当する学校にありては、往々斯種の入学条件を欠く者あるを以て実習に最も多くの力を致せり。我国の如き従来林業に対する経験少なくして、而して将来大に斯業(しぎょう:この方面の事業)の開発進歩を期せんとする国にありては、有為の青年を導き新に技術者たらしむる事最も必要にして、現在各種程度の学校何れも前者に属せざるなし。然れども学校出身者のみを以て容易に国家の需要を満す能はざるを以て、目下盛んに行はれつゝある所の林区署其他官公署に於て、森林行政事務に関与せる者及一般林業家の智識を啓発するは、最も必要にして且有効なる方法なり。
教育の主義  次に森林教育に広狭二様あり。狭義に於ける教育主義とは、例へば一地方に於ける森林面積広大にして住民が林業を主業とすると副業にすると否とを論ぜず、森林改良の必要を認め、之れが目的を達するには教育の力に俟(ま)たざるべからざるものとし、茲(ここ)に森林教育機関を設置するが如きは、其地方林業界に直接の必要を認めて設立せられたる者にして、教養の方針も亦地方林業の状況と密接なる関係を保たざるべからず。従ひて卒業後は直ちに其地方に帰りて斯業に従事
 
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し郷党(きょうとう:むらざと)に重きをなさゞるべからず。広義の森林教育主義とは、特定の目的を以てするにあらずして、其地方人士の子弟に恰好(かっこう:ちょうどころあいなこと)の職業を付与する為めの準備教育をなす場合にして、卒業後其地方の林業に従事するか、或は官公吏員となると否とを問はざるなり。換言すれば業を卒(お)へたる者は何れの地方に去りて如何なる職務に従事するも措(お)いて問はず、唯卒業生が己修の学芸によりて生存競争に堪へ得る凡ての準備をなすを以て、究竟(きゅうきょう:最後の)の目的を達したる者となす故に、教養の方針も自から前者と異ならざるべからず。
森林官吏の養成  次に官公署に任用せる森林技術者の智識を拡充する目的を以て、適当の期間之に教育を施す者と、或は新に森林に関する素養なき者を教養して卒業後、其官公署に任用する為特種の機関を設くる場合、例へば嘗て(かつて:以前)我国山林局に林業講習所を付設して中等程度学校卒業以上の学力ある者を教養したるが如きは、特に官庁の必要に応じて教育機関を設けたる場合にして、而して独澳諸国には森林官庁に附属せる森林学校あり。当該官庁の技術者主として之が教養の任に当り、卒業後は一般森林官庁に就職し供給過多なる時は民間林業技術者たらしむ。又教育機関を設けずして其官庁の業務に日々従事し、上級官吏の直接・間接指導誘掖(ゆうえき:みちびき教える)によりて一定年限間服務し、然る後本官に選抜せらるゝか、或は規定の試験を受けて後任用せらるゝ等種々なる組織あり。斯く(かく:このような)官
 
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吏の養成を目的とせるを以て教養の方針も自から之に副(そ)はざるべからず。即ち森林に関する教授事項も特種の方面に限定せらるゝ場合あるのみならず、其官庁に直接必要なる事項、例へば例規・各種報告様式等に至る迄教科目に規程せらるゝを見る。
独澳中等程度森林教育  次に独澳(ドイツ・オーストリア)其他に於ける中等程度の森林教育に関し先輩の視察報告書類より要を摘録せん。
澳国(オーストリア)に於ける森林教育は、実務に熟達せる有用の人物を養成するにありて三階級に分たる。即ち高等、中等及下級程度の教育機関にして、中等程度の森林教育機関は4個あり、主として民業に従事するに適切なる技術者を養成する者にして、修業年限は3ヶ年とし、年齢16歳以上にして入学前、林業の実務に従事したる経験あるを入学条件とし、卒業後は種々なる特典を有す。下級程度の森林学校は其数11ありて設立者にありて二者に分たる。一は公私立にして修業年限多くは2ヶ年々齢15歳以上にして体格強健なるを要し、卒業後は森林保護吏及助手の任用試験に応ずる資格を与へらる。他の一は政府の直轄に属し、専ら国有林の保護吏養成の機関にして修業年限は1ヶ年とし、年齢17歳にして入学前1ヶ年以上森林労働に従事したる経歴あるを要す。而して森林保護吏となるには卒業後更に任用試験に応ぜざるべからず。
 
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洪牙利(ハンガリー)国の森林教育機関は、其淵源遠く1796年に胚胎し、而も森林官吏の子弟の小学校にある者に森林の専門教育を課せしに初まると云ふ。蓋し現今高等小学に農工商等の実業の教科を課すると同一意味に出でし者なるべし。爾来長年月の変遷発達によりて、森林教育に関しては欧州に於ても名声嘖々(さくさく:やかましくうわさする)たる者あり。而して森林保護吏学校は全国四ヶ所、修業年限は多くは2ヶ年にして生徒の訓練の如きは全く軍隊組織とし規律厳粛、秩序整然たり。此等の学校は何れも教養方針を異にして、或は飛砂地に於ける森林保護に任ずる者、或は平地林又は山岳林地方に於ける森林保護等、夫々(それぞれ)目的によりて教養の方針を異にせり。従ひて教科程度も簡単にして実務に関する練習を重んぜり。此種の組織は欧州に於ても其類少なしと云ふ。
巴威(バイエルン)王国に於ける造林学校は5ヶ所ありて修業年限は2ヶ年にして満13歳以上の者を採用し、将来国有林の経営並に保護の任務に従事せんとする者に必要なる学科を授く。従ひて教科の内容も自から之の趣旨に副(そ)ふべく規定せられたるを見る。学校は何れも小林区署所在地にありて小林区署長之が指揮監督をなす。
索遜(ザクセン)国に於ける下級森林官吏の養成は、小学教育を終へたる男子にして3ヶ年間林区署に於て実地の練習をなし後、試験によりて小林区署補助吏となるべき資格を得、此後5年間在職の後再び任
 
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官試験を受けて本官に任ず。
普国(プロイセン)に於ける森林保護吏の養成は2途あり。一は養成所なる特別教育機関を設けてせる者、一は林区署に於てする者之なり。後者は年齢16歳以上にして1ヶ年間は森林官吏監督の下に直接事業に従事し、第2年目に於て小林区署又は高級森林官吏の下に森林に関する知識を授けられ、兼ねて実地演習を受け、試験に合格したる者は数年間陸軍狩猟隊に編入せられ、然る後森林保護吏となる。前者の機関は2個ありて農務省の管轄に属し、森林保護吏志望の者に普通並に森林及狩猟学の初歩を授け、後日受験の予備をなすこと之なり。
我国中等程度の森林教育に関する諸説  次に恩師及我国森林行政庁の高級地位にある先輩諸賢の中等程度の森林教育に関する高説を摘録(てきろく:要点をぬき書きすること)して、職を同ふする者の指針に供せん。但し各位より掲載の許可を得る暇なかりしを以て時に芳名を冠せず。
第一説  中等程度の森林教育の目的は、専ら実用的の材を養成する所にして学究の徒を出すの主旨にあらず。故に卒業後は官庁其他に奉職して1、2年にして直ちに責任ある森林業務に従事するも、専門学校程度以上の卒業生は学者又は学理を研究するの徒を出すの門にして、教授事項の如き一般的普汎的なり。故に諸外国にては卒業後8、9年間責任ある仕事を担当せしめざるな
 
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り。然るに多くの中等程度の実業学校に於ては、学理に走り易きは甚だ嘆ずべきことにして、新規の学説、斬新(ざんしん:思いつきやねらいが、今までになく新しいさま)奇抜の事項は好奇心に駆られ生徒の脳裡に銘じ易きも、最も必要なる卑近の事項は然らず。且教材の選択に留意して実習と相関連せしむ。即ち極端に謂へば学習に必要なるだけの学科を授く。此故に成績調査に於ても学科と実習とは採点は均等にし、二者を平分するを可とす。従ひて教師は当然実地に明ならざるべからず。之が為めに教師は単独に演習林以外に学校所在地に可成(なるべく)近き公私有林地の管理経営を担任し、責任を帯びて日常人夫の雇用より林業一切の業務を処理して常識を修養し、直接之が経験より得たる所の者を以て教材とす。尚諸外邦に於て森林教育に実習の重んぜらるゝ一例を挙ぐれば、印度(インド)の『デラ』山林学校の如きは、夏期は生徒は教師と共に終日山林に入り、実際教授を受けて学校には人影を止めず。又彼の『バイエルン』国『ケルハイム』小林区署の付属せる造林学校も此主義に依れり。且つ小林区署長が校長にして教室廊下には其地方にのみ産する鳥獣、草木、土石等を陳列し、標品の数量を少くして確実なる教授をなすと云ふ。
第二説  木曽は三大美林の一なり。殊に伐木並に運材の事業は歴史的発達をなし、我国に大規模の伐木運材事業の祖なり。此故に各地に新規に起る民間並に官行伐木事業には必ず木曽谷に養
 
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成せられたる伐木運材労働者を召集するの例なれば、宜しく秩序的教育を受け、而も伐木運材事業に精通し技術を售(う:売ると同じ意味)りて身を立てんとする人物を養成す。即ち学校は主力を伐木運材事業に集注して木曽式たるべしと。
第三説  生徒の年齢及学力等に限りあるを以て負担過重の弊を避くるのみならず、且実業に従事するものに適切なる教授をなす為め、教材を選択し範囲を縮少し、而して学校所在の府県若(もし)くは隣府県の林業経営に役立つべき、而して郷村に主きをなすべき人物の教養に勉むべし。
第四説  修業年限も3ヶ年にして、且入学並に卒業生徒は現況より推究(すいきゅう:おしきわめる)して、澳国(オーストリア)地産学校の如く教授も普汎的にして、林学科の外、畜産・農学・土木科或は法制経済等の大意を課し、一般的智識を亨有せしめ、社会の凡(すべ)ての方面に活動し得る、秩序あり責任を重んずる人物養成を以て教養の方針となすべし。
第五説  現今の情勢より其何れに偏するも不可にして、中庸を得るを以て最善の方法なるべし。即(すなわち)学校所在府県位の小範囲に適応せしむる様人物を作るは、余りに森林教育を狭義に解したる者にして、而して又生徒の学力年齢を顧みず広汎の事項を課するも亦不可なり、且卒業後社会の有する方面に活動し可成(なるべく)多くの経験を得せしむるは最も必要なるを感ず。更に現今我国に於て
 
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は農林両科は凡て併置の状態なるも、独澳の例に倣ひ甲種程度は必ず林学科を以て独立せる一校を必要とす。伹し高等専門学校には諸外邦と雖も農林又は工林を併置せる者多きが如し。
第六説  元来諸外邦に於ける中等程度の森林教育なる者は、学資の少なき者又特種の事情ある者が速成を期し、卒業後直ちに官庁、会社其他に入りて俸給に衣食せんとするにありて、自家所有の森林を経営せんとするが如きは皆無なり。而して甲種程度林学料卒業生として自家所有林を経済的に管理経営をなさんとせば、労力の繁閑、事業の難易等により異なるも、現在我国の林況は郷村に近き森林は殆んど未立木地なれば、少なくとも一人にて担当し得らるゝ面積は500町歩以上なるべし。然るに100町歩以上の森林所有者は各府県に甚だ其(その)数少なかるべきは信じて疑はざるなり。即林地の分配が農地の分配の如く平等ならずして著しき差異あり。是故に一県若(もし)くは数県に於て、自家林経営者として多数の入学者を求むる能はざるは当然の事なり、且数100町の森林所有者は其地方に有数の資産家なれば、此等の子弟は学資豊富なるを以て高等専門教育を受くるを普通とし、甲種程度の門に入るは特別の場合なり。斯くの如くなるを以て自家所有林経営者を養成せんが如き希望は、木に縁(よ)りて魚を求むるが如し。宜(よろ)しく修業年限を延長するか、或は学科の程度を高めて、専門学校程度の者と現今甲種程度の教育機関との中間に位すべき程度に
 
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甲種程度の森林教育機関を完成して、森林官庁に就職し或は公私有林の施業計画者として果(は)た又実行者として確実有用の材を養成するに勉めざるべからず。      画像16
尚此他2、3大家の説を叩きしもの大同小異なれば擱筆(かくひつ:筆をおく)すべし。今以上諸説を概括すれば、大約広義の森林教育と狭義の森林教育と而して二者の折衷との三者に帰着する者の如し。本校にありては以上諸説の内折衷説を基礎とし、且修業年限を延長するは不可能の事情あれば学科の程度を高め、千様万態なる天然の状態に適応すべき経営施設をなす技術者の養成に任ず。而して智識技能を有し勤勉業に服するの誠意ありとするも、実務上の経験に乏しきものは未だ以て完全なる森林技術者たるに遺憾なしとせず。故に本校は修業3ヶ年の課程の修了せしめて、以て教育の目的を達したりともせず、卒業生の材能(さいのう:はたらき、うでまえ)と境遇とを省察し、卒業後直ちに帰郷して実務に従事するを可とするものは本校之が後援となりて、帰郷後と雖も連絡を保ち彼等の指導誘掖に努むるも、其然らざる(それしからざる:そうでない)者は学徳あり経験ある技術者の下に於て実務に従事せしめ、以て林業上の経験を得ると共に、活社会に於ける凡百(ぼんひゃく:もろもろ、あらゆる)の問題に遭遇して各種の人物に接し、益々智徳の修養を積ましめ、且本校は創立以来技術を售(う)りて身を立てんとする者を養成するは当然の事項として、而して何人も疑を挟まざるに一致せり。殊に本校は、
 
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 1.生徒の学歴多様にして高等小学を卒業後、他に何等かの階段を経て入学せる者比較的多きこと
 2.生徒の年齢は比較的高く18歳以上のものは半数以上なること
 3.他府県より多数入学者あること
 4.生徒の父兄が相当面積の森林を所有せる者殆んど皆無なること
 5.生徒に戸主又は長男少くして、大半は次男以下のものなること
 6.生徒の入学前、林業其他の実務に多年経験あるもの多きこと
 7.卒業生が殆んど全国に拡がり、自己の技能に適応せる官公署に奉職せるもの極めて多き事
等の情状、複雑にして殊に学力の相違、森林技術の差違等、夥(おびただ)しき者あれば、文明教育の通義として一定縄墨(じょうぼく:規範、手本)の下に平均せる普通人を作らんと勉むるは愚直の甚しき者なれば、学則を逸せざる範囲に於て其器に従ひて適材を発揮せしめ、彼等篤学の志を達せしむるに勉むると同時に、単に高等小学を卒(お)へ直ちに入学したる者には負担過重の弊を極力顧慮し、志想の確実ならざる年少気鋭の士を導くに向学心と興趣の念を誘致して有為の青年をして適当なる職業を付与し、事業の実行者として森林労働者と相伍して実務に鞅掌(おうしょう:いそがしく)し、彼等を指導監督して敏活に業務を処理し得ベき完全なる
 
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技術者たらしめんとするにあり。