NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

7.教育、人物・伝記

■幕末の先覚者赤松小三郎と実母宛書簡 [解説] 

 元治元年(1864)9月、小三郎は征長の役従軍のため江戸へ出たが、これを好機として11月横浜に至り、英国公使館付騎兵大尉アフリンに面会し、直接英人に就いて英学を学ぶ端緒を開いた。当時英学者として名を成した者より数年先に英学に着手したもので、我が国の英学の先進初学者の一人であった。そして頗る語学の天才であった。
 当時何等交通機関の便なき時、江戸~横浜間7里の道を遠しとせず、殆ど隔日の如く往復すること数十回、間々一日に往復するの努力を以て、アフリンを初め英人ミニストル、アレキサンドル、ワイト、ヒックス、ブレキマン等に就いて、英語・兵学及び馬に関する知識を修めた。更にケンプナール、コッヘなどの商館を訪問し、藩命による銃器購入に奔走し、或る日は香水を貰い、葡萄酒・ビールの接待に陶然とし、或いはクリスマスを好奇の瞳で見学した等、泰西百般の新知識を吸収したという。(『赤松小三郎先生』)
 その英語力、新知識を基に慶応元年(1865))に師匠であった下曽根が購入した原書の翻訳を開始し、翌年にまとめて「英国歩兵練法」が刊行された。幕末期に幕府、薩摩藩等の英国式調練採用とともに、兵書が必要となり、明治初年までに何冊かの翻訳書が出版されたがこれが最初に刊行されたものである。
 さらに、慶応3年(1867)5月、薩摩藩の要望に応じて1864年改定版が「重訂英国歩兵練法」として薩摩藩から発行された。これは表紙の色より「赤本」と呼ばれた。