NPO長野県図書館等協働機構/信州地域史料アーカイブ

7.教育、人物・伝記

寺子屋師匠の日記

[解説]

「年内諸事控日記 小沢和徳 慶応4戊辰年正月吉日」「諸事日新録 小沢和徳控 慶応4戊辰年六月朔日ヨリ」「当家初代好古堂芝産一代記 全 小沢和徳誌焉」
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長野県立歴史館 青木隆幸

 小沢家は伊那郡小野村(現上伊那郡辰野町)で近世半ばから明治初まで3代にわたり手習師匠を務めた家である。身分は農民であり、江戸時代を通じて村役人を務めた。
 初代の芝産(1736~91)〔好古堂〕が手習師匠としての活動を始めたのは宝暦10年(1761)、つづいて子の亀春(1762~1834)〔緑毛亭〕、さらに亀春の子和徳(1796~1869)〔菁莪堂〕が継いだ。中でも、3代和徳は15歳で父の代役を務め、天保期から明治2年に没するまで 飢饉、開国、幕末という動乱の中、多くの子どもたちに読み書きを教えた。
 小沢家の活動を近世信濃の手習師匠のモデルの一つとしてここに取り上げるのは、和徳が文久年間から明治2年までの10年間、膨大な量の日記を残したことによる。手習師匠としての日々の生活や、子どもの学びの姿、それを支える地域社会の有りようが詳細に描かれている。農村知識人が幕末の世情をどのように捉えていたかも、日記の端々に描き込まれている。ここでは、慶応4年(明治元年)の1年間の日記2冊(「年内諸事控日記 慶応四戊辰年正月吉日」「諸事日新録 慶応四戊辰年六月朔日ヨリ」)を翻刻した。
 また、慶応3年(1867)に和徳が記した『当家初代好古堂芝産一代記 全 小沢和徳誌焉』は、芝産・亀春2代を題材にした家族の歴史であると共に、手習師匠が誕生する経緯や、当時どのような資質が師匠に求められたのかを知るうえで極めて貴重な証言である。
 江戸時代の手習師匠は、一つの村や町で長く教えていたかのように思われがちだが、芝産の場合は生地の小野で教えた後、松嶋村に招かれそこで没した。子の亀春は松嶋村で教えた後に小野で師匠を務め、晩年には南殿村(現南箕輪村)・一ノ瀬村で師匠を務めた。このように、手習師匠はさまざまな地域のニーズに応えて活動の場と教授する内容を変えていたのである。彼らがどのようなプロセスで招かれ、地域が何を期待し、どのように師匠をサポートしたかが『当家初代好古堂芝産一代記 全 小沢和徳誌焉』からわかる。
 また、本史料の魅力は、和徳が巻末に「此書不許他見」と記したように、先代の顕彰だけを目的とせず、家族史として、芝産・亀春の人となりをありのままに記している点である。手習師匠の場合、ともするとその教育者としての側面が強調されがちだが、ここに描かれている師匠たちは、日々の中の小さな出来事に一喜一憂しながら暮らしを築く生活人である。近世後期の庶民生活を描いた優れた作品といえる。