NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

6.行政、政治等の記録

■分県之建白 [解説] 

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 江戸時代の信濃国(しなののくに)には、松代(まつしろ)藩や松本藩をはじめいくつかの藩領や幕府の直轄領、善光寺・諏訪大社などの寺社領などの領地が点在していました。
 明治元年(1868)8月2日、あちこちにちらばっていたそれまでの信濃国の幕府領を管轄するために伊那県が設置されます。伊那県は信濃国の南から北までの領地を管轄しましたから、統一的な支配は困難だったため、3年9月17日に、東信・北信の伊那県を独立させて中野県としました。南信の伊那県は、いままでどおりの伊那県となります。
 ところが、3年12月に、中野で騒動がおき、県庁をはじめ中野の町の多くが焼失してしまいます。維新政府は、中野に県庁をおくことをやめ、4年6月22日には中野県は「長野県」と改称され、県庁は長野に設置されました。
 この時期の信濃国は、伊那県と「長野県」という二つの県と、松代藩や松本藩などのいくつかの藩からなっていました。
 明治4年7月14日の廃藩置県によってそれらの藩がすべて県となります。藩から県になったのは12県で、伊那県と「長野県」をあわせて14の県となりました。
 廃藩置県の4か月後の11月20日、明治政府の方針によって、信濃国内のすべての県が二つの県に合併されます。東信・北信の諸県が「長野県」となり、中信・南信の諸県と高山県(飛騨国)が筑摩(ちくま)県となります。
 筑摩県の範囲は、松本県(旧松本藩)、高遠県(旧高遠藩)、飯田県(旧飯田藩)、高島県(旧高島藩・諏訪藩)、名古屋県(旧尾張藩)、高山県(飛騨国)、そして中信と南信の「伊那県」です。郡でいえば、安曇・筑摩・伊那・諏訪の信濃国四郡と、吉城(よしき)・大野・益田(ました)の飛騨国(ひだのくに)3郡です。
 筑摩県の県庁は旧松本県庁(旧松本城二の丸御殿)とさだめられ、木曽福島宿に取締所、高山に支庁、東京に支庁を置きました。
 いっぽうの「長野県」は、中野県が「長野県」となった県(第1次)とはちがいますから「第2次長野県」と呼んでおきましょう。「長野県」(第2次)の範囲は、それまでの「長野県」(第1次)に、廃藩置県で置かれた松代県・飯山県・須坂県・上田県・小諸県・岩村田県・椎谷(しいや)県(一部)の七つの県が統合されました。郡でいえば、埴科(はにしな)・高井・水内(みのち)・佐久・更級(さらしな)・小県(ちいさがた)の6郡です。
 長野県の県庁は、それまでとおなじように水内郡長野村に置かれました。岩村田に佐久支庁が置かれ、別に東京にも支庁が置かれました。
 合併時の筑摩県の戸数11万4561、人口55万841人、「長野県」(第2次)の戸数は10万4962、人口46万6652人となっています。戸数も人口も筑摩県が多くなっています。飛騨国も含んでいたからです。