NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

5.繁盛記、社史、産業の記録

■小諸繁昌記 [解説] 

051


 
 明治三十八年(1905)十一月に、永井與三郎が編集発行した『小諸繁昌記』の緒言には、「今や、信越鉄道開通し、東北の難関たる、碓氷の峻嶺は、坐して車窓夢穏やかなる裡に過ぐべく」と書かれています。
 明治二十年代、長野県内の鉄道網や道路網が整備されて交通が発達し、商品経済が発展するとともに地域意識が形成されていきます。このように地域認識が高まった明治三十年代になると「繁昌記」や「案内」などが数多く発刊されます。
 まず、『松本繁昌記』が明治三十一年に発刊されます。しばらくして、『下高井繁昌記』(同三十六年)、『長野繁昌記 一名善光寺案内』(同三十七年)などが続き、明治三十八年十一月には『小諸繁昌記』が発刊されることとなります。
 同じころ、東信濃地域では『浅間山』、『上田案内』、『別所温泉案内』などの研究書や案内書も発刊されます。人々はこれらの書から、自分の住む地域の良さを再認識したことでしょう。一方で、他地域の「繁昌記」や「案内」に接することにより、その地の歴史や地理、自然、文化などをくわしく知ることができ、鉄道などを利用して、訪ねたいと思ったことでしょう。
 では、『小諸繁昌記』の内容を項目にしたがって見ていきましょう。
 
第一章 小諸町沿革誌
第一節 緒言
 浅間山と千曲川、この「秀美高潔の江山」に囲まれた地が信州小諸市街地であると述べています。
第二節 市街地建設以前
 石器時代の遺跡の紹介からはじめています。次に村落形成のはじまりから、古代のこの地域の地名を紹介しています。
第三節 領主と城下町建設の歩み
 小諸太郎光兼は木曽義仲の一部将であり、横田河原の戦いから越後への転戦、との記述からはじめています。鎌倉時代以後、小諸を治めた領主を次々とあげ、武田氏が滅び織田の領地になったあと、小諸の城主は芦田右衛門佐信蕃となったとしています。
 信蕃についてはくわしく書かれています。彼は小県(旧丸子町)の依田氏から出た一族で戦国の世を戦い続け、最後は徳川軍に加わって戦い、没しますが「徳川の軍最後の勝を制して佐久の郡は依然徳川氏の領となれり」としています。
 江戸時代については、仙石氏、松平氏、石川氏など多くの領主が代わり、牧野氏が明治維新まで治めたことを述べています。
 
第四節 小諸町の写真・絵図
 まず、商店の広告が九ページ載っています。次に、「小諸尋常高等小学校講堂(明治三十四年新築)」からはじまり「布引山の掘抜き道」まで、二十五ページにわたって、本書が発行されたころ撮影したと思われる写真が載せられています。今となってはいずれも貴重な歴史資料です。
 
第二章 小諸町治一班
第一節 明治年譜 
 明治元年(1868)二月六日の偽官軍事件からはじめ、明治三十五年十一月二十日の蛭子講で終わっています。
第二節 町治沿革
 明治元年から明治二十三年(1890)の町村制実施までの地方制度の変遷による小諸町の区画や町名の変遷を述べています。
第三節 小諸町治班・諸統計表
 明治四十一年十月十日発行の「長野県北佐久郡小諸町是 全」をもとにして明治以降の小諸町の沿革を記しています。
 一、「官衙・学校」では「小諸義塾」を簡単に紹介しています。
 二、「神社・仏閣」の6「懐古園神社」は小諸城主牧野氏と旧城の鎮守である天神と火魂の二神を祀ってあると述べています。
 三、「工場」では「純水館碓氷社」「小諸製糸場」の二つの製糸場が紹介されています。純水館については詳しく書いてあり、第五章の「商家案内」へも再び載せています。
 四、「旧跡・名勝」に載せられた旧跡等のいくつかは、五の「糠塚集等の歌誌」でもうたわれています。
 
第三章 小諸名士伝
第一節の「小諸名士列伝」では旧藩主であった牧野康哉から石塚重平まで、九人を挙げている。荒町の豪商柳田茂十郎については「文明的商人」として、詳しく述べています。
第二節の「小諸出身の名士人物」には、名士といわれる人の氏名と仕事などが列挙されています。
 
第四章 霊場案内記
 「浅間山真楽寺」「菱野薬師」「浅間登山」「布引山」が載っています。布引山については特に詳しく、白い筋が入る布引岩、「牛にひかれて善光寺参り」の仏話発祥地であること、釈尊寺などについて述べています。
 
第五章 商家案内
第一節の「小諸の商業」では「長野と云へ松本と云へ、戸数に於て、人口に於て、遥かに小諸の上に居る。而して小諸が二者と並んで恥つかしからぬは抑も何なるか。即ち小諸の商業是なり」と。昭和に至るまで、「小諸商人」、「商人の町小諸」といわれていた小諸を、明治後期に端的に述べています。
第二節 商家案内
 一、与良町(一四軒の商家)煙草、紙、酒、漆器、足袋などの店と鍛冶工場が
 二、荒町(三十二軒の商家)店が最多。合資会社酢屋商店など小山一族の店が何軒も
 三、本町(十七軒の商家)蔦屋旅館は小諸の旅館の嚆矢であるという 
 四、中町(七軒の商家)錨床は理髪業で長野新聞の名誉懸賞を得た
 五、市町(九軒の商家)大五魚店は「古来有名なる魚店なり」と
 六、新町(四軒の商家)大穀屋は養蚕具を製造販売
 七、相生町(十軒の商家)小諸停車場前の町で、休憩所や料理屋、旅館など
 八、筒井町(一軒の商家)株式会社小諸倉庫
 九、袋町(三軒の商家)「純水館」の三製糸場
 
第六章 小諸の雪月花と雑報
 大久保のつり橋、懐古園、光岳寺、唐松、小諸商工歌などが紹介され、雑報として十九ページにわたって商店の広告が載せられています。
 
第七章 小諸の年中行事
 一月から十二月までの行事がとその内容が記されています。
 
 これで『小諸繁昌記』は終わっていますが、印象に残る記述は商店の広告を含め小諸の商家の紹介でした。