NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

4.地域の記録

■真田氏関係資料 パスファインダー&目次検索 5.真田四代の妻妾・子女について調べる 

『真田幸村と真田一族のすべて』小林 計一郎/編 KADOKAWA 2015年
 <所蔵館>県立長野図書館 長野市立図書館 エコール 千曲市立図書館等
 ◇真田一族人物事典の章に真田昌幸・信之・信繁の妻妾・子女につて記載されている。
 一節 真田幸隆とその父、兄弟には、真田頼昌、真田幸隆(幸綱)、矢沢頼綱、常田隆家 
 二節 真田昌幸とゆかりの人々
 ア 昌幸の正室は、山之手殿(寒松院)であるが、菊亭春季(きくていはるすえ)女とも、宇田頼忠の女とする説がある。「寒松院は法名で、他に京之御前様、御北様とも呼ばれたことでも明らかなように、京の公家の縁者で、信玄の斡旋で昌幸の正室になったものと思われる。」
 イ 子女には、長女・村松殿、長男信之、次男幸村(信繁)、次女・真田幸政妻、三女・鎌原重春妻、四女・保科正光室、五女・滝川一積妻、三男・昌親、四男・信勝、六女・妻木重直妻がいたとされる。信之と信繁の母は正室山之手殿であるが、それ以外の子女の母親は不詳
 三節 真田信之ゆかりの人々
 ア 信之の妻妾には、正室・徳川重臣本多忠勝女小松殿(大蓮院)、叔父信綱の女(於北の方)が側室になって長男・信吉を生んだといわれる。(『滋野世紀』)「次男・信政の生母は一般には小松殿といわれるが、『本藩名士小伝』によると信政の生母は後年、松代城代を務めた玉川秀政女で信政母となった右京(うきょう)であるという。」また、高僧・正受老人を産んだとされる女性がいた。
 その他、信之の親友・小野のお通、その娘で信政の側室になった小野宗鑑尼(そうかんに)、酒井忠世女で信吉正室の松仙院等がいた。
 イ 信之の子女には、「長女・高力忠房室、次女・佐久間勝宗室(見樹院)、長男・信吉、次男・信政、三男・信重、そして生母や名、行動の不明な三女、四女があった。」
 四節 幸村(信繁)ゆかりの人々 
 ア 幸村の妻妾には、正室・大谷吉継女竹林院(ちくりんいん)、側室には、堀田作兵衛女 高梨内記女 豊臣秀次女があったという。 
 イ 幸村の子女には、長女・お菊、次女・お市、三女・お梅、四女・あぐり、長男・大助、幸昌(ゆきまさ)、五女・御田(おた)姫、六女・御菖蒲、七女・おかね、次男・大八(片倉守信)、三男・三好佐馬之介幸信、八女・某女、九女・某女
 
『真田一族と家臣団-その系譜をさぐる‐』田中 誠三郎/著 信濃路 1979年
 <所蔵館>県立長野図書館 長野市立図書館 エコール 須坂市立図書館 千曲市立図書館 ライブラリー82等
 (1)真田弾正忠幸隆の妻妾・子女
 ア 真田弾正忠幸隆は真田右馬允頼昌と海野信濃入道棟綱の女との間の二男で、永正10年(1513)に松尾城に生まれた。海野平の合戦に敗れ、棟綱と幸隆は吾妻郡羽根尾幸全の許へ逃げた。幸全は幸隆の妻の父だったとされる。(「羽尾記」)
 海野平の合戦後、幸隆は箕輪城の長野業政に身を寄せていた。棟綱の嫡男幸義は討死、祢津元直と矢沢綱頼は許され所領を安堵されている。
 イ 幸隆の妻は「羽尾記」に羽尾幸全の女とあるが、記録はない。ただ「嫡男信綱が生まれたのは天文6年。幸隆が幸全を頼って信州を落ちたのは天文10年であることを考えると、或いは、信綱の母は幸全ではないか、また、幸隆の二男昌輝の家系図に昌輝は天文12年6月に岩野城(佐久)に生まれる。母は武田家臣河原丹波守妹と記録されているのをみると、幸隆は武田随身後に河原氏女を娶ったものと想像できる。」とある。
 ウ 鎌倉時代中期に海野幸房が上野吾妻郡三原庄に移り、さらに鎌原、西窪、羽尾三家に分かれ、さらに下屋、湯本、横谷、浦野に分かれた。
 エ 「滋野世紀」には、幸隆には、武田家臣遠山佐馬介と上州岩櫃城主海野幸景の子海野幸次の妻となった二人の女がいたと記録されている。また、「滋野世紀」には海野異系として海野棟綱-幸義-幸景-幸次とし、幸次は真田昌幸に滅ぼされたとある。
 オ 真田源太左衛門信綱は天文6年(1537)松尾城で生まれた。父は真田幸隆、母は河原隆正の妹とされているがはっきりとは判らない。
 信綱・昌輝兄弟は三州長篠合戦で討死したが、「兄弟の墓は設楽が原宮脇の丘の中腹、村の墓地内に一基に二人の名が刻まれて建っている。」
 カ「信綱の妻は、「高梨系図」によれば、中野箱山城主高梨政頼の女於キタで、井上左衛門尉の養女として信綱へ嫁いだ」といわれる。二人の間には女子一人あり、信幸に嫁ぎ、後に沼田城主となった河内守信吉を生んでいる。
 於キタは於北様と呼ばれ、信綱死後信綱館に住み天正8年(1580)に没した。同地の広山寺には「御北之塚」がある。
 
 (2)真田昌幸の妻妾・子女
 ア 真田の母については、「真田氏系図」には河原丹波守隆正の妹とある。昌幸は幼名を源五郎といい、少年時代に武田氏の一族武藤の名跡を継ぎ、武藤喜兵衛と名乗った。天正3年(1575)の長篠合戦で兄信綱、昌輝が討死したので、真田の家督を継いだ。時に29歳であった。
 イ 「真田氏系図」では、信之、信繁(幸村)は菊亭大納言春季の女を母としており、松代藩では昌幸の妻を「山の手殿」と呼び、上田時代には「京の御前」呼んでいたから春季の女と伝えているだけで、その確実な資料はない。
 一方、「石田氏系図」には、昌幸の妻は宇田上野守頼忠の女で、石田三成の妻も頼忠女で、昌幸と三成は義兄弟の関係になるという。また、昌幸の女が石田刑部少輔頼次に嫁し、頼次没後は滝川一積に嫁している。
 ウ 昌幸には四男五女があったが、「長国寺殿御事蹟稿」「寛政重修諸家譜」等の文献を総合すると次の通り。
 ・女子 小山田壱岐守茂誠妻、村松殿。母は某氏
 ・信之 伊豆守、源三郎、一当斎、永禄9年生まれ。
 ・信繁 左衛門之佐、源次郎、永禄10年生まれ。
 ・女子 真田幸政妻、母は某氏。幸政は真田壱岐守信尹長男
 ・女子 鎌原宮内少輔重春妻、「寛政重修諸家譜」には記載されていない。
 ・女子 保科弾正忠正光妻、母は某氏
 ・女子 滝川三九郎一積妻、母は宇田上野守頼忠の女か。一積は滝川一益の孫
 ・信勝 佐馬之助、母は某氏。
 ・昌親 母は某氏
 ・女子 妻木彦右衛門頼照妻、母は某氏
 
 (3)真田信之の妻妾・子女
 ア 信之は天正18年26歳のとき昌幸に代わって沼田城主となり、11年間、慶長5年36歳で昌幸の後を継いで上田城主23年間、元和8年58歳で松代城主となって58年間その座にあった。65年以上の城主・藩主。辞世の和歌がある。
 「沼田記」は次のように記録している。
 ・天正17年9月13日 信之、本多忠勝女を娶る。
 ・同19年9月 女子まの生まれる。後に高力忠房妻、忠房没後は芝の二の丸様という。(「真武内伝追加」)
 ・文禄2年 女子まさ生まれる。後に佐久間勝宗妻、勝宗死去後真田に戻り、見樹院と称す。
 ・同4年 男子仙千代、後の信吉生まれる。「滋野世記」には母は真田源太左衛門女とあり、後の沼田3万石城主
 ・文禄3年(1594)11月、伊豆守に任ぜらる。 
 ・慶長2年11月 男子百助生まれる。後の信政。沼田城主、二代目松代藩主。母は右京の局と伝う。
 ・同4年 男子越後に生まれる。後の隼人正信重
 ・同5年 関ケ原の戦い起こり、百助5歳にて徳川の人質。百助家康の前で臆して泣く。家康お慰みに吉光の短刀を与う。信之信州上田城主とある。(「沼田記」)
 ・元和6年2月 大蓮院没す。48歳
 ・同8年松代移封
 
 (4)真田信繁(幸村)の妻妾・子女
 ・長女阿菊(すへ) 母は家臣堀田作兵衛興重の女。上田で生まれる。長窪宿の郷士石合重蔵重定に嫁ぐ。
 ・次女於市 母は高梨内記女。九度山で病死
 ・三女阿梅 母は高梨内記女。真田氏の記録に「内記は左衛門之佐様御舅にて茶臼山にて一緒に討死。御息女を片倉小十郎妻に致し候。内記妻は鍛治町に屋敷下され剃髪して妙達と申し候。小十郎より毎年合力下さる。」とある。
 ・四女あぐり 母は正妻大谷刑部吉継女。三春4万5千石城主蒲生郷喜に、滝川一積の養女として嫁ぐが、「寛政重修諸家譜」に「寛政9年さきに真田左衛門之佐幸村が女を養女として松平中務大輔(たいふ)忠知が家臣に嫁せしことをとがめられ改易せらる。」とある。
 ・長男幸昌(大助)母は正妻大谷刑部吉継女。慶長20年5月8日大坂落城のとき、豊臣秀頼とともに自刃した。
 ・五女なほ(御田姫ともいう) 母は三好中納言秀次の女。大坂落城を前に母娘は京都に住む豊臣秀吉の姉瑞龍院日秀尼の許へ避難した。後、御田姫は岩城但馬守信隆に嫁いだ。
 ・六女阿菖蒲(おしょうふ)母は正妻大谷刑部吉継女。姉阿梅に引き取られ、後に伊達政宗の家臣田村定広に嫁いだ。
 ・七女おかね 母は正妻大谷刑部吉継女。茶人宗休に嫁ぐ。
 ・二男大八 母は正妻大谷刑部吉継女、慶長19年九度山で生まれる。姉阿梅の嫁ぎ先片倉氏に引き取られ、片倉久米之介守信と名乗って360石を知行された。
 ・三男幸信 母は三好中納言秀次の女で、姉の御田姫の嫁ぎ先岩城氏の許で三好佐馬之介幸信と称して380石を給せられた。
 ・四男真田之親 母は不明。讃岐領主弟生駒甚助の家臣細川国広は大坂場内で幸村から之親を托され讃岐に帰り育てたという。
 
『真田昌幸』柴辻 俊六/著 吉川弘文館 1996年
 <所蔵館>県立長野図書館 長野市立図書館 エコール 千曲市立図書館等
 ◇本書は真田昌幸の動向に関して、できる限り一次資料を集め、その事蹟を再構築することに主眼が置かれている。とりわけ、『真田家文書』『群馬県史』等刊行の成果が活かされている。引用史料に関しては、原典名や所蔵者名が記されているが、それらの大部分は『信濃史料』『群馬県史』(資料編)『新編信濃史料叢書』に収録されている。
 ◇目次を以下に示す。
 第一 一族の流れ 1真田氏の発祥 2海野一族の広がり 3父母と祖父母
 第二 父幸隆の小領主化 1真田領の形成 2武田氏への被官化 3上野吾妻領の攻略 4上田領への進出
 第三 家督継承と領主化 1武田家への出仕 2家督相続 3兄弟と姉妹 4妻妾と子女 5沼田領への侵攻 6吾妻・沼田領の支配
 第四 大名領の形成 1武田氏滅亡と織田氏への対応 2北条・徳川氏への臣従 3上杉景勝との同盟 4第一次上田合戦
 第五 大名領の確立 1その発給文書 2上田城の築城 3家臣団の編成 4検地と貫高制 5在地支配
 第六 豊臣大名化 1豊臣秀吉への出仕 2秀吉の沼田領裁定 3小田原の役と名護屋の陣 4関ケ原の戦いと第二次上田合戦 
 第七 九度山への配流 1嫡子信之の上田領併合 2九度山真田庵での生活 3その死去と画像 4昌幸の人物像
 
『真田氏三代』笹本 正治/著ミネルヴァ書房2009年
 <所蔵館>県立長野図書館 長野市立図書館 エコール 千曲市立図書館等
 ◇巻末に人名索引がある。
 多出人名は、石田三成 出浦対馬守(守清) 猪俣邦憲 上杉景勝 上杉謙信 海野棟綱 海野幸光 大熊靱負(ゆきえ)小笠原貞慶 小笠原長時 小川可遊斎 織田信長 小山田昌辰 小山田茂誠(壱岐守) 河原綱家 木曽義昌 木村綱茂(土佐守) 小松殿 坂巻夕庵(平次) 真田信尹 真田信綱 真田信吉 真田昌輝 鈴木主水(重則)須田満親 仙石忠政 仙石秀久 武田勝頼 武田信玄 徳川家康 徳川秀忠 豊臣秀吉 豊臣秀頼 日置五右衛門 藤田信吉 北条氏邦 北条氏直 北条氏政 本多忠勝 宮下孫兵衛 村上義清 村松殿 矢沢頼綱 矢沢頼幸 山之手殿 依田信藩