NPO長野県図書館等協働機構 信州地域史料アーカイブ

4.地域の記録

■信州飯田町家扣 [解説] 

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 「信州飯田町家扣」は、現在飯田市中央図書館に所蔵されている「飯田文書」の中に入っています。その裏表紙を見ると、この史料の持ち主として「番匠町(現在の飯田市通り町1丁目)わたや庄助」の名前が書かれています。またこの史料の見開きの左側ページすべてに、「信州飯田番匠町 綿屋庄助」という店印が押印されています。初めの所蔵者は番匠町の綿屋庄助だったことがわかります。番匠町には「綿屋」の屋号を持つ町人が4人いました。「綿屋半三郎家」「綿屋小三郎家」「綿屋留兵衛家」「綿屋甚左衛門家」です。このうち江戸時代を通して続いているのは、「綿屋半三郎家」「綿屋小三郎家」で、特に「綿屋半三郎家」(現在の綿半ホールディングス株式会社の前身)は町役人を勤める有力な家でした。「綿屋庄助」がどの家なのかは、はっきりとはしません。さらに裏表紙を見ると、「明治18年8月 蜂谷所蔵トナル」と記されており、綿屋から渡った先は、おそらく庄屋や戸長を勤めた、上飯田村の蜂谷重蔵家ではないかと推測されます。
 この史料の表紙を開けると、「信州飯田城下町屋覚」という題がついていて、書き出されています。内容は多岐にわたっていますが、江戸時代の享保5(1720)年頃までのことが記述されています。主な内容としては、(1)鎌倉時代から江戸時代までの主な領主の変遷(2)飯田町の出来ていく過程(3)飯田町町人の地子米上納に至る経過(4)市運上と塩・肴・茶荷物の扱い(5)竪町と横町の商売物について(6)飯田町町人の山利用(7)飯田町町人の町役・職人の国役や扶持(8)飯田町の火災・地震(9)酒株・質屋(10)在郷町の商売物規制(11)13町と5町の塩・肴をめぐる争いなどです。
 この中で今まであまり知られてきていない内容として、飯田町町人の役負担や職人の役負担があります。間口に応じて上納する「地子米」についてはよく知られていますが、辻番・井普請人足・松川や野底川の橋掛け人足・山道造りなどはあまり知られていません。また大工をはじめいろいろな職人には、国役と言って1年に12日出役がありました。これに対する扶持についてや頭領たちの手当についても書かれています。また町人たちの松川入山や野底山利用が行われており、このこともあまり知られていません。「信州飯田町家扣」には、江戸時代前半の飯田町の成り立ちやしくみが、いろいろと書かれています。
 この「信州飯田町家扣」と類似した記録は、飯田市内にいくつも残されています。今迄に翻刻され出版されたのは、信濃教育会下伊那部会(後に伊那史料叢書刊行会)によって、大正4年から発行された『伊那史料叢書』の中の「飯田万年記」(大正5年7月10日発行)です。この書の解説には、更に類似した記録として、「飯田萬歳録」(飯田町 西村國太郎所蔵)・「改正実録 飯田御城代々記」(座光寺村 北原源三郎所蔵)・「信州飯田町屋覚書」(飯田町 松屋治助所蔵)・「飯田旧事略記」(飯田町 杉本勝太郎所蔵)があげられていますが、現在所在は不明です。飯田市中央図書館には、翻刻されていない類似の記録が、何冊か「飯田文書」の中に入っていて、所蔵されています。「飯田文書」は、戦前から飯田図書館に集まって来て、所蔵されている史料群です。主として上飯田村の史料が中心です。「飯田要用録」「飯田細釋記」「飯田細釋記 全」「飯田古事記」などが主な類似の記録です。ほぼ似たような記録ですが、「飯田要用録」では、飯田町の寺社の由来なども書かれていて少し詳しくなっています。このほかに「飯田町旧記」(飯田市今宮町 酒井富夫氏所蔵)「飯田世代記」(飯田市千代 川手家旧蔵 飯田市歴史研究所複写史料所蔵)があります。この2冊は、「飯田要用録」に近く、詳細に書かれています。
 これらの類似している記録を並べ、補いながら読んでみると、飯田町のことが今までよりはっきりしてくると思います。